早河シリーズ第六幕【砂時計】
プロローグ
11月2日(Mon)
警視庁捜査一課刑事の小山真紀は階段下から階段の上部を見上げた。無人の貸しビルはかつてはダイエット用品専門の通販会社がテナントとして入っていた。
階段下の入り口にある掲示板には劣化して印刷の色が薄くなったダイエット器具やダイエット食品の広告が貼り付けたままになっている。
『検視が終わったそうだ。行くぞ』
上司の上野恭一郎に促されて真紀は階段を上がり、三階の踊り場で足を止めた。踊り場の床に男が仰向けに倒れている。
年齢は三十代後半から四十代、よれたシャツの左胸が赤く染まっていた。
『弾は貫通していない。まだ心臓の中だろうな』
「惨《むご》いことしますね」
『警部。ガイシャの身元がわかりました』
原昌也刑事が長い脚をもて余しながら階段を上がってくる。原の声に上野と真紀は振り返った。
『随分早いな。所持品が見つかったか?』
『指紋の前科者リストに引っ掛かったんです。ガイシャは藤井剛、窃盗の前科があります』
「また前科者ですか? 先週発見された死体も傷害の前科のある男でしたよね」
真紀が眉をひそめた。そう、“また”なのだ。上野も難しい顔つきで死体を見下ろした。原が自身の手帳のページをめくる。
『先週発見された大山って奴もこの藤井も服役を終えて出所したばかりなんですよ』
『出所した早々に殺される……何かあるな』
これから死体を運び出すため、上野達は三階から一階に降りた。
秋と冬の混ざる11月の初め。ビルの日陰から太陽の当たる場所に移ると日差しの暖かさが身に染みる。
規制線の黄色いテープの外側には数人の野次馬がいた。前を歩いていた原が野次馬の群れを見て足を止める。
彼の視線の先を真紀は追った。野次馬の群れから少し離れた場所に男がいる。
身長は180センチはありそうな長身の男は黒いコートのポケットに両手を入れてこちらを睨むようにして立っていた。
『……阿部?』
「お知り合いですか?」
『警察学校時代の同期。同期っつってもあちらさんは警察庁のエリートだけどな』
「警察庁……」
警視庁と警察庁。似ているようで違う警察組織。
警視庁は地方公務員、警察庁は国家公務員、これだけでも違いがあるが警視庁の管轄が東京都なのに対して警察庁は各都道府県警察の指揮、監督をしている。
真紀や原は警視庁所属、あそこにいる阿部という男は警察庁所属ということだ。
「どうして警察庁の人が現場に?」
『さぁな。近くに居合わせて様子を見に来たのか、それともわざわざ警察庁のキャリアがでしゃばってくるようなヤマなのか……。どちらにしろあんなとこで突っ立っていられるのも鬱陶しいな』
原の阿部を見る眼差しは穏やかではない。警察学校の同期でも親しい間柄ではないらしい。
阿部の視線は原を見ているのか、現場を見ているのかわからない。
やがて黒いコートの裾が翻って阿部が背を向けた。長身の彼の姿が遠ざかっていくと真紀はホッとした気持ちになった。
よくはわからないが、阿部の敵を射るような鋭い眼光に身体が萎縮して寒気がした。無意識に両腕を抱き込んでさすっている。
(警察庁の阿部……一輝に聞けば何かわかるかも)
穏やかな晴天とは対照的な暗雲の予兆を彼女は感じていた。
プロローグ END
→第一章 逆流する過去 に続く
警視庁捜査一課刑事の小山真紀は階段下から階段の上部を見上げた。無人の貸しビルはかつてはダイエット用品専門の通販会社がテナントとして入っていた。
階段下の入り口にある掲示板には劣化して印刷の色が薄くなったダイエット器具やダイエット食品の広告が貼り付けたままになっている。
『検視が終わったそうだ。行くぞ』
上司の上野恭一郎に促されて真紀は階段を上がり、三階の踊り場で足を止めた。踊り場の床に男が仰向けに倒れている。
年齢は三十代後半から四十代、よれたシャツの左胸が赤く染まっていた。
『弾は貫通していない。まだ心臓の中だろうな』
「惨《むご》いことしますね」
『警部。ガイシャの身元がわかりました』
原昌也刑事が長い脚をもて余しながら階段を上がってくる。原の声に上野と真紀は振り返った。
『随分早いな。所持品が見つかったか?』
『指紋の前科者リストに引っ掛かったんです。ガイシャは藤井剛、窃盗の前科があります』
「また前科者ですか? 先週発見された死体も傷害の前科のある男でしたよね」
真紀が眉をひそめた。そう、“また”なのだ。上野も難しい顔つきで死体を見下ろした。原が自身の手帳のページをめくる。
『先週発見された大山って奴もこの藤井も服役を終えて出所したばかりなんですよ』
『出所した早々に殺される……何かあるな』
これから死体を運び出すため、上野達は三階から一階に降りた。
秋と冬の混ざる11月の初め。ビルの日陰から太陽の当たる場所に移ると日差しの暖かさが身に染みる。
規制線の黄色いテープの外側には数人の野次馬がいた。前を歩いていた原が野次馬の群れを見て足を止める。
彼の視線の先を真紀は追った。野次馬の群れから少し離れた場所に男がいる。
身長は180センチはありそうな長身の男は黒いコートのポケットに両手を入れてこちらを睨むようにして立っていた。
『……阿部?』
「お知り合いですか?」
『警察学校時代の同期。同期っつってもあちらさんは警察庁のエリートだけどな』
「警察庁……」
警視庁と警察庁。似ているようで違う警察組織。
警視庁は地方公務員、警察庁は国家公務員、これだけでも違いがあるが警視庁の管轄が東京都なのに対して警察庁は各都道府県警察の指揮、監督をしている。
真紀や原は警視庁所属、あそこにいる阿部という男は警察庁所属ということだ。
「どうして警察庁の人が現場に?」
『さぁな。近くに居合わせて様子を見に来たのか、それともわざわざ警察庁のキャリアがでしゃばってくるようなヤマなのか……。どちらにしろあんなとこで突っ立っていられるのも鬱陶しいな』
原の阿部を見る眼差しは穏やかではない。警察学校の同期でも親しい間柄ではないらしい。
阿部の視線は原を見ているのか、現場を見ているのかわからない。
やがて黒いコートの裾が翻って阿部が背を向けた。長身の彼の姿が遠ざかっていくと真紀はホッとした気持ちになった。
よくはわからないが、阿部の敵を射るような鋭い眼光に身体が萎縮して寒気がした。無意識に両腕を抱き込んでさすっている。
(警察庁の阿部……一輝に聞けば何かわかるかも)
穏やかな晴天とは対照的な暗雲の予兆を彼女は感じていた。
プロローグ END
→第一章 逆流する過去 に続く