早河シリーズ第六幕【砂時計】
 バスローブを羽織ったケルベロスが浴室から出てきた。こちらは精液と汗の臭いにまみれているのに、自分だけはさっさとシャワーを浴びている。そういう男だ。

濡れた髪をタオルで雑に拭う彼は彼女には見向きもせずにベッド横のソファーに腰を降ろした。煙草を咥えて一服するケルベロスを彼女はベッドから見つめる。

『……なんだよ。そんなに俺のこと見つめて。まさかとは思うが、俺に惚れた?』
「気持ちの悪い冗談言わないで」
『さっきまで俺の下であんあん喘いでいたくせに。ま、お前が俺に惚れるわけないな。俺もお前に惚れることはない』
「別にあなたに好かれたいと思ってはいない。よくそんなにのんびり構えていられるなと思っただけ」

 身体を起こした彼女は手ぐしで髪を整えた。セミロングに整えた髪の毛が汗で湿った額に貼り付いた。
紫煙を吐き出したケルベロスは薄く笑う。

『のんびりしているように見えるか?』
「見えるわよ。ホテルで女抱いてる暇があるなら、他にやるべきことがあるんじゃない?」
『はっ。確かにやるべきことはある。だが、計画の第一段階が終わった今は派手な動きはしないに限る。チョロチョロとうざったいネズミが周りを嗅ぎ回ってるしな』

 忌々しく眉を寄せたケルベロスは煙草を咥えて立ち上がり、クローゼットにかけたジャケットから二台の携帯電話を取り出した。

一台は彼が実名で名乗っている表で使用している携帯電話、もう一台は犯罪組織カオスのケルベロスとしての携帯電話だ。どちらにも新着の知らせはない。

『今日はここに泊まる』
「え?」

ベッドにいた彼女が怪訝に顔を上げた。

『これと言って急用もないからな。移動するのも面倒だからここで寝ていく』
「……そう」
『そんなガッカリした顔するなよ。俺と居たくないのはわかるが、そうあからさまに残念な顔されるとさすがの俺も傷付く』

 彼は煙草を咥え直してベッドの端に腰かけた。ケルベロスの手が彼女を抱き寄せてキスを迫る。
顔を背けても無許可に奪われた彼女の唇は煙草の味がする舌に犯された。

「傷付くって言葉はあなたには似合わない。サディスティックなあなたは傷付けられるのではなく、傷付ける側でしょう?」
『口の達者な女だな。そういうお前はどっちだ? 傷付けられる側か傷付ける側か』

ケルベロスが彼女の顎を持ち上げる。視線の交わりを強制させられた彼女は少し考えてから口を開いた。

「私は……傷付いて泣くのはもう嫌。何もできなくて泣いてばかりいた自分が嫌だった」
『だから俺と組む気になった、力を獲て傷付ける側になるために。そうだろ?』

 サイドテーブルにあるもうひとつの灰皿に彼は煙草を捨て、彼女を押し倒してもう一度キスをする。

優しくもない甘くもない接触。
それでも今の彼女にはこの接触こそ何より確かな“力”だ。

 上と下で彼と彼女の視線が交ざる。

「そう。私は傷付ける側を選んだ。あなたと同じ」
『それでいい。それでこそ俺が選んだパートナーだ』

彼の唇が彼女の胸元に強く吸い付いて、彼女は身をよじらせる。

「私もシャワー浴びたいんだけど」
『後にしろ。泊まると決めたからには、まだまだ相手してもらわねぇとな』

ケルベロスは口の端を吊り上げたニヒルな笑いを浮かべて彼女の身体に覆い被さった。
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