早河シリーズ第六幕【砂時計】
 廊下を歩いて来た上野恭一郎が早河に目で合図する。上野の意図を汲み取った早河は、宮崎夫妻から離れて上野と廊下の隅に移動した。

『所轄から捜査状況を聞いてきた。現在、稲本香澄の自宅付近の聞き込みをしているが不審人物の目撃情報はないそうだ。凶器も見つかっていない。ホシが持ち去ったんだろう』

上野は壁に背をつけて手帳を広げた。

『女将が香澄を発見したのが16時過ぎ、医者の話だと病院に運ばれた時の出血量から見て、刺されたのは15時から15時半と推定された』
『15時から15時半……』

 早河がなぎさの自宅を訪れていた時間帯だ。早河は拳を壁に打ち付けた。

『今朝、俺は香澄と一緒にいたんです。一緒に朝飯食って……。香澄が狙われたのは俺のせいです。俺があいつに仕事を頼んだから』
『落ち着け。香澄のことは何かわかれば知らせてやる』
『……上野さん。香澄の件とは別にして、内密に動いてもらいたいことがあります』

 早河はなぎさと連絡が取れないこと、ケルベロスと思わしき人物と連れの女がなぎさの取材旅行先である京都について話していたことを上野に報告した。

早河の話を聞き終えた上野が険しい表情で腕を組む。

『なぎさちゃんの携帯はまだ繋がらないか?』
『さっきもかけてみましたが、まだ……。この後、なぎさの家に行ってみます。俺の取り越し苦労ならそれに越したことはありませんし』

取り越し苦労。そうあってほしいと早河も上野も願った。最悪のケースを想像したくはない。

 上野は早河よりも先に病院を出た。警視庁に向かう道すがら、彼の携帯には部下の小山真紀から何度も着信が入っている。

(小山に隠しておくのも潮時だな)

やれやれと思い、上野は携帯をスーツのポケットに押し込んだ。


        *

 なぎさは重たい瞼を開けた。冷たく硬いものが頬に触れている。
視界には闇が広がるばかりで、目を開けていても閉じていると錯覚してしまう暗さだった。

(どこ? 私……何してるの?)

頬に当たる感触が床だと気付いて彼女は起き上がろうとした。しかし上手く身体が動かない。両手と両足が何かで縛られていた。

 四谷三丁目駅の出口を出たところでなぎさの記憶は途切れている。
すぐに誘拐、拉致、監禁の文字が脳裏に羅列した。

(どうして私を? まさかカオスの?)

 目が闇に慣れてくると少しずつ天井と壁の境目が見えてくる。どこからか流れてくる風の音。11月にしては室内は寒く感じない。

暗さに慣れた目で周囲を見るとエアコンのような物体が天井近くにある。聴こえる風の音はエアコンから出る温風の音だ。

(暖房つけてくれるなんて、親切な誘拐犯ね。でも誰が何の為に私を?)

 この状況で考えなければいけないことは山ほどあるのに、なぎさの身体はそれを拒否して眠りにつく準備を始める。必死で開けていた瞼がまた重くなってきた。

(眠たい……変な薬でも嗅がされた?)

再び暗く混沌とした眠りの底に彼女は囚われた。



第三章 END
→第四章 加速する未来 に続く
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