早河シリーズ第六幕【砂時計】
 四ッ谷駅前の新宿通りに面した珈琲専門店Edenはいつの時間帯も混んでいる。早河はカウンター席に座って今日のオススメのブレンドコーヒーとパスタを注文した。

午前11時半、昼食としては少し早いが今後の予定も考えての腹ごしらえだ。それにこの店を訪れた目的は腹ごしらえだけではない。

『今日はお一人ですか? 珍しいですね』

 Edenのマスターの田村克典はカウンターの向こうでにこやかに接客している。読んでいた週刊誌から顔を上げた早河も愛想よく笑った。

『助手は休暇中なんですよ』

 早河は壁に飾られた額縁に視線を移した。英語で書かれたその証書は早河には詳しい内容はわからなかったが、その証書がどんな意味のものであるかは知っている。
額縁に入る証書の西暦は18年前の1991年。

『マスターってライフル射撃の世界大会で日本人初の優勝者なんですよね。あの表彰状はその時のものでしょう?』
『昔の話です。壁が寂しいから何か飾れる物がないかと思って、私が誇れる唯一のことなので飾ってあるだけですよ』
『誇れる唯一のことだなんて。15年前までは自衛隊特殊部隊のエースだった人がご謙遜を』

田村の顔色がわずかに変わった。

『どこでそのことを?』
『俺も昔は刑事だったのでそのツテで。まさかマスターが自衛隊にいただなんて驚きましたよ』
『それも過去の話ですよ。今はしがないコーヒー屋の店長です。……本日のオススメ、どうぞ。もうすぐパスタも出来上がります』

 またにこやかな笑みに戻った田村が早河の前にコーヒーカップを置いた。早河はカップを持ち上げコーヒーに口をつける。
当たり前だが、二葉書房の自販機で買った缶コーヒーよりも旨かった。

『しがないってことはないでしょう。こんな駅前の立地の良い大通りにコーヒー屋をオープンできるんだから大したものです』
『私の力じゃありません。出資してくれた方のおかげです』
『出資者がいらっしゃるんですか』
『ええ。とても頼りになる方です』

髪を後ろで束ねたウエイトレスがパスタを運んでくる。早河が注文したパスタはボロネーゼだ。

『早河さんがあそこに探偵事務所を構えたのはどうしてですか? あの場所は脇道ですし、立地が良いとは言えないのでは?』

今度は田村が早河に尋ねる。早河はフォークにパスタを絡めて口に入れた。

『あそこは元々、俺の父親が借りていた場所だったんです』
『お父様が?』
『父も俺と同じように刑事を辞めて探偵稼業を始めて。父が事務所として借りていたのが今の俺の事務所です』
『ほぉ。親子二代の事務所ですか。お父様から譲り受けたんですね』

 皿に半分残るボロネーゼ。店の喧騒とコーヒーの薫りが立ち込める中で早河と田村の探り合いの視線が絡んだ。
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