早河シリーズ第六幕【砂時計】
『あんたが15の時に父親も転落事故で死んでるよな』
『あれは事故じゃねぇよ。俺が殺した。ベランダから突き落としてやったんだ。呆気ない死に様だったなぁ。親父の女が俺に乗り換えてきた頃でさ、親父を殺してくれって頼んで来たんだ』
『女はその後どうなった? まさか殺したんじゃ……』
『ご名答。そのまさかだ。馬鹿な水商売の女だった。付き合うのが面倒になって高校入ってから女も殺した。女はバラバラにして埋めてやった。一度殺れば殺人なんて大したことじゃない。むしろあれは女を抱いてる時の快楽に近い』

 原昌也は15歳で父親を殺していた。この男は殺人をしても罪悪感を持たない。

『俺がどうして警察に入ったかわかるか? 堂々と国家のためと大義名分を掲げて人が殺せるからだ。警察と医者はある意味、人殺しのエキスパートだろう? 三種類の人間の中じゃ、俺は人を殺す側だ。早河、お前も殺す側だと思った。初めて会った時から感じていた。冷めた暗い目をしたお前は人を殺す危うさを秘めている』

 早河は手に持つ拳銃を眺めた。このトリガーを引けば犯罪者の領域に堕ちる。
人を殺す危うさ。殺すか殺さないかの境界線に自分は立っている。

 小学生の頃、地面に集う蟻《アリ》を笑いながら足で踏み潰していた同級生がいた。逃げ惑う蟻の行く手を封じて、蟻の上に大きな石を置いた同級生も笑っていた。

綺麗に咲いている草花の葉や茎を手で引きちぎったり、むしりとって遊ぶ同級生もいた。それを悪いことだと彼らは認識していなかった。

 あれは一種の破壊と殺戮の衝動だろう。蟻や草花をひとつの生命とは思わない子供の、無邪気で残忍な殺戮。
誰もがそんな危うい衝動を隠し持っているのかもしれない。

『こちら側に来ないか?』
『何を言っている?』
『その銃であそこの二人を殺せばお前とこの女は殺さずに生かしてやる。少なくとも大事な女の命は守れるぞ』

 原は顎で矢野と恵を指した。早河に矢野と恵を殺させても、それでなぎさが助かる保証はない。

『人を殺す危うさねぇ。確かにあんたの言うとおり、俺は人を殺す側に回っていたかもしれない』

 潰れた蟻《アリ》を見て笑っていた小学生の群れには早河もいた。自分の足で蟻を踏み潰した経験もある。

殺虫剤で虫を殺すことは当たり前。飛んできた蚊は無条件に叩き潰して殺している。
人を殺した経験がなくても虫を殺した経験は誰にでもある。

 無邪気で残忍な殺戮を、残酷だと認識した時に初めて人間は命の尊さに気付く。

『でも俺はあんたとは違う。人を殺す危うさがあったとしてもギリギリで踏み留まってその境界線は越えない』

 早河は拳銃の安全装置《セイフティ》のレバーを上げてロックした。

この世に生きるすべての命は平等だなんて綺麗事は言わないが、こんな武器を使って守ったところで目の前の愛する彼女は喜ばない。

 前方、後方から足音が聞こえる。
メリーゴーランドの柵を軽々飛び込えた長身の男が死角から原の体を羽交い締めにした。
原の拘束を逃れたなぎさが回転板の上に投げ出される。

羽交い締めにされた原をさらに機動隊が銃で威嚇して取り囲んだ。機動隊が照らすライトの眩しさに目を細めた原は顔を後ろにそらし、自分を押さえつける阿部知己を睨んだ。

『チッ。阿部……またお前か。どうしていつも俺の邪魔ばかりする? 昔、俺がお前の女を寝取ったことまだ根に持ってんの?』
『そんな昔の話は忘れた』

阿部が原の両手首に手錠を嵌める。回転板の床に倒れるなぎさを小山真紀が抱き起こした。

「真紀さん……」
「遅くなってごめんね。もう大丈夫」

 真紀は泣いているなぎさの背中を優しくさすり、抱き締めた。
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