早河シリーズ第六幕【砂時計】
 不穏な空気に包まれた捜査会議は午後6時45分に終了した。

『小山くん。君は残ってくれ』

 会議室を出ようとした真紀を阿部が呼び止める。他の刑事達が続々と会議室を去る中、真紀だけがそこに残された。

「どうして私の名前を?」

数十人いる捜査本部の捜査員ひとりひとりの名前を指揮官が知るはずはなく、ましてやここではアウェーな立場の警察庁の阿部が真紀の名前を知る機会はない。

『ここに来る前に捜査本部の大方の捜査員の顔と名前はリストを見て把握した。それに女性警察官は少数だからな。覚えやすい』
「はぁ……」

 阿部は会議室の禁煙のルールを破って煙草に火をつけた。警察庁の人間には警視庁のルールは知ったことかと言う態度だ。

(捜査員のリストってそんなものいつの間に……。しかもこの人はほぼ全員の顔と名前を把握してるの? 私だって知らない刑事が数人いるのに……)

阿部の煙草の煙が室内に漂う。

『君は早河元刑事とは同じ班だったんだろ?』
「え……はい。私が警視庁配属になった時から同じ班でした」
『早河って奴はどんな人間だ?』
「どんなって……」

 今回の被害者二人は早河が過去に逮捕した人間だ。早河のことが話題にあがるのは必然とも言えるが、まさか阿部の口から彼の名が出るとは思わなかった。

『早河はあの貴嶋佑聖の学友、そして貴嶋と対峙した唯一の刑事だった。君から見て、早河は刑事として優秀だったか?』
「はい。優秀な刑事だったと思います。早河さんに教えられたことが多くありますし、尊敬しています」
『尊敬、ね……』

彼は目を細めて煙たそうに紫煙を追った。何を考えているのか早河以上に読めない男だ。

『では探偵としての早河はどうだ? 優秀か?』
「早河さんが探偵をしていることもご存知なんですね」
『調べればわかることだ。君が早河の右腕と言われる矢野一輝と交際していることもな』

 目を見開き言葉を失う真紀を見て阿部はニヒルな笑みを向ける。

『君のプライベートを咎《とが》めたりはしない。そんなもの俺にはどうでもいい。俺が知りたいのは早河という男の能力だ』

阿部の鋭い眼光が真紀を捕らえた。真紀は彼から何か得体の知れない威圧感を感じて身震いした。

(私と一輝のことも知ってるなんて……)

この男は何をどこまで知っているのか、どうして早河の能力を知りたがるのか、阿部の真意は不明だ。

「こう言っては失礼かもしれませんが、早河さんに直接お会いになってはいかがですか?」
『……直接か。確かにそうだな。時間を取らせてすまなかった。捜査に戻ってくれ』

 ブラインドが上げられた暗い窓ガラスに阿部と真紀の姿が映る。彼女は阿部に一礼して部屋を出かけたが、足を止めて振り返った。

「あの……阿部警視は原さんと警察学校の同期なんですよね?」
『……ああ』
「早河さんのことなら、どうして私じゃなくて原さんに聞かないんでしょうか? 早河さんと仕事をした年数は私よりも原さんの方が長いですよ」

煙草を咥える阿部は真紀を一瞥する。

『原が早河の同僚だったことは知っている。ただ原とは昔から馬が合わない。それはあいつも同じだろう。それだけだ』

 彼の口からそれ以上の何かが語られることはなかった。真紀は背中を向ける阿部に再度一礼して、会議室を後にした。
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