捨てられた『壁令嬢』、北方騎士団の癒やし担当になる
辺境伯との出会い
(……あら? 城の方がにぎやかね)
事務官室に向かっていたシャノンは窓の外を見ていて、本城の方に人が多いことに気づいた。
騎士団棟は辺境伯城城壁内の東側にあり、この西向きの窓からは晴れている日には夕日がきれいに見えるほか、本城の中庭も見下ろせた。
今、その庭にたくさんの馬車が停まっているのが見えていた。
(お客様かしら?)
もしそうだとしても、客にとって用事があるのは本城の方だから、騎士団棟は基本的に関係ない。とはいえ城主であるランバート辺境伯はもう二ヶ月以上留守にしているそうだから、応対するのは執事たちになるのだろうが。
(ランバート辺境伯閣下……いつになったらご挨拶にうかがえるのかしら)
ディエゴは、エルドレッド・ランバートが二十三歳の武勲に長けた若者であると言っていた。
早くに引退した父から爵位を継いだ彼は優秀な当主だが、デスクワークより騎士たちと一緒に鍛錬したり視察したりする方が好きらしい。
そもそも国境を守る辺境伯家の当主なのだから、部屋にこもるよりは積極的に表に出て練兵指導をしたり視察をしたりする方が妥当だ。ディエゴ曰く、父親譲りの剛健な体格と王都の貴族出身の母譲りの美しい顔立ちを持つ、朗らかで愛想のよい青年らしい。
シャノンも騎士団棟付事務官として辺境城内で暮らすようになっているのだから、エルドレッドが帰ってきたら挨拶に行かなければならない。
(さすがにディエゴさんやラウハたちと同じというわけにはいかないから、そのときは礼儀正しくしないとね……)
そう思いながら事務官室に向かい、昨日の記録をまとめることにした。
一日の記録は普段持ち歩いているメモ帳に書き留め、翌日に記録簿に記すことにしている。
これから何十年、何百年も保管されることになり、場合によっては後の世で重要な資料になる可能性もあるのだから、後の世の人に笑われない丁寧な字で書く必要があった。
事務官室は元々、一人用の仕事部屋だ。
かつてディエゴが使っていた頃は殺風景だったが、「せっかくだから、自分の好きなように模様替えしていい」と言われたので、ではということで休憩に使える椅子や本棚、亜寒帯でも育つ植物の鉢植えなども持ち込ませてもらっている。
にぎやかな休憩室も好きだが、一人でゆっくりと記録簿にペンを走らせられるこの空間も、シャノンは大好きだ。北国は天気の悪い日が多くて窓の外はたいてい曇り空だが、故郷とは全く違う空を見るだけでも気持ちが落ち着く。
デスクに向かって清書を……と思っていたシャノンの耳に、どたどたという足音が届いた。
廊下を誰かが走っているのだろうか、と思って聞いていると、足音は事務官室の前で止まった。
そしてドアがノックされることなく、ばんっと外側から開かれた。
「ディエゴ、今帰った! 早速この記録を――」
ドアを開けた張本人は朗々とした声で言うものの、その声は途中で途切れた。
彼の目がこぎれいに飾られた室内に向けられ、そしてしばらく視線が部屋の中をさまよったのちにデスク前にちょんと立つシャノンに向けられたからだ。
ドアの前に立っているのは、背の高い青年だった。北方人らしい銀色の髪は癖がないものの、急いで走ってきたからなのか少し乱れている。そのおかげで前髪がはねて形のよい額がよく見えており、きりりと涼しげな青色の目が際立っていた。
軍服の上に纏っているのは、豪奢なマントだった。左肩に留め金が付いており両腕をまっすぐ下ろした状態だと体をすっぽりと覆うデザインになっているが、今は片手でドアを押さえ、何か書類のようなものを握ったもう片方の手を掲げているので、その下に着ているえんじ色の軍服がよく見えた。
ちらっと見える程度だが、なるほど辺境伯領の人間らしい非常に鍛えられた体つきをしている。北方騎士団の制服はわりとぴっちりとしたデザインなので、着る人が着れば胸筋や腹筋の形もはっきりと分かる。
仕事中の騎士たちはこの上に鎧を着るのだが、彼はそういったものは身に付けていない。それによく見ると、軍服のデザインも一般の騎士たちより豪華だ。
――冬の狼。
そんな表現がぴったり似合いそうな美丈夫だが、ドアをノックすることもなく突撃し、シャノンを見てそのまま動きを止めてしまった。
シャノンもまたいきなりやってきた男に驚き、瞬きを繰り返すことしかできない。
(……この人は?)
事務官室に向かっていたシャノンは窓の外を見ていて、本城の方に人が多いことに気づいた。
騎士団棟は辺境伯城城壁内の東側にあり、この西向きの窓からは晴れている日には夕日がきれいに見えるほか、本城の中庭も見下ろせた。
今、その庭にたくさんの馬車が停まっているのが見えていた。
(お客様かしら?)
もしそうだとしても、客にとって用事があるのは本城の方だから、騎士団棟は基本的に関係ない。とはいえ城主であるランバート辺境伯はもう二ヶ月以上留守にしているそうだから、応対するのは執事たちになるのだろうが。
(ランバート辺境伯閣下……いつになったらご挨拶にうかがえるのかしら)
ディエゴは、エルドレッド・ランバートが二十三歳の武勲に長けた若者であると言っていた。
早くに引退した父から爵位を継いだ彼は優秀な当主だが、デスクワークより騎士たちと一緒に鍛錬したり視察したりする方が好きらしい。
そもそも国境を守る辺境伯家の当主なのだから、部屋にこもるよりは積極的に表に出て練兵指導をしたり視察をしたりする方が妥当だ。ディエゴ曰く、父親譲りの剛健な体格と王都の貴族出身の母譲りの美しい顔立ちを持つ、朗らかで愛想のよい青年らしい。
シャノンも騎士団棟付事務官として辺境城内で暮らすようになっているのだから、エルドレッドが帰ってきたら挨拶に行かなければならない。
(さすがにディエゴさんやラウハたちと同じというわけにはいかないから、そのときは礼儀正しくしないとね……)
そう思いながら事務官室に向かい、昨日の記録をまとめることにした。
一日の記録は普段持ち歩いているメモ帳に書き留め、翌日に記録簿に記すことにしている。
これから何十年、何百年も保管されることになり、場合によっては後の世で重要な資料になる可能性もあるのだから、後の世の人に笑われない丁寧な字で書く必要があった。
事務官室は元々、一人用の仕事部屋だ。
かつてディエゴが使っていた頃は殺風景だったが、「せっかくだから、自分の好きなように模様替えしていい」と言われたので、ではということで休憩に使える椅子や本棚、亜寒帯でも育つ植物の鉢植えなども持ち込ませてもらっている。
にぎやかな休憩室も好きだが、一人でゆっくりと記録簿にペンを走らせられるこの空間も、シャノンは大好きだ。北国は天気の悪い日が多くて窓の外はたいてい曇り空だが、故郷とは全く違う空を見るだけでも気持ちが落ち着く。
デスクに向かって清書を……と思っていたシャノンの耳に、どたどたという足音が届いた。
廊下を誰かが走っているのだろうか、と思って聞いていると、足音は事務官室の前で止まった。
そしてドアがノックされることなく、ばんっと外側から開かれた。
「ディエゴ、今帰った! 早速この記録を――」
ドアを開けた張本人は朗々とした声で言うものの、その声は途中で途切れた。
彼の目がこぎれいに飾られた室内に向けられ、そしてしばらく視線が部屋の中をさまよったのちにデスク前にちょんと立つシャノンに向けられたからだ。
ドアの前に立っているのは、背の高い青年だった。北方人らしい銀色の髪は癖がないものの、急いで走ってきたからなのか少し乱れている。そのおかげで前髪がはねて形のよい額がよく見えており、きりりと涼しげな青色の目が際立っていた。
軍服の上に纏っているのは、豪奢なマントだった。左肩に留め金が付いており両腕をまっすぐ下ろした状態だと体をすっぽりと覆うデザインになっているが、今は片手でドアを押さえ、何か書類のようなものを握ったもう片方の手を掲げているので、その下に着ているえんじ色の軍服がよく見えた。
ちらっと見える程度だが、なるほど辺境伯領の人間らしい非常に鍛えられた体つきをしている。北方騎士団の制服はわりとぴっちりとしたデザインなので、着る人が着れば胸筋や腹筋の形もはっきりと分かる。
仕事中の騎士たちはこの上に鎧を着るのだが、彼はそういったものは身に付けていない。それによく見ると、軍服のデザインも一般の騎士たちより豪華だ。
――冬の狼。
そんな表現がぴったり似合いそうな美丈夫だが、ドアをノックすることもなく突撃し、シャノンを見てそのまま動きを止めてしまった。
シャノンもまたいきなりやってきた男に驚き、瞬きを繰り返すことしかできない。
(……この人は?)