捨てられた『壁令嬢』、北方騎士団の癒やし担当になる
資料をもとに地図に印を入れたら、ディエゴにチェックしてもらう。
ちょうど休憩室にいたディエゴはシャノンが書き込んだ地図を見て、うなずいた。
「うまくまとめられているな。ありがとう、シャノン」
「どういたしまして。……ユキオオカミの動き、心配ですね」
もっと言うべきこと、言いたいことはあるのに、未熟な自分では月並みな意見しか出てこないのが心苦しい。
だがディエゴは片手に持っていたコーヒー入りのマグカップをテーブルに置き、「そうだな」と穏やかな声で応じてくれた。
「今年の春から秋にかけて、ユキオオカミの食糧になる兎や狐などが激減したという話は聞かない。……食物連鎖、知っているかい?」
「はい。ユキオオカミなど食物連鎖の上に立つ者に異変が生じた場合、その原因は『食べられる側』にある可能性が高いのですよね」
一般教養として教えてくれた家庭教師の先生に心の中で感謝しつつ言うと、ディエゴはうなずいた。
「そうだ。過去にもユキオオカミの行動ルート変更が見られることがあったが、その原因はその年が冷夏で、山の草が枯れたことにあった」
「……山の草が枯れたことでそれを食べる兎が減り、本来の餌である兎の数が減ったからユキオオカミが冬の食糧を求めるために例年とは違う行動を取ったのですね」
「ああ。だから当時の辺境伯は翌年から、春から夏にかけての山の植生についても調査するようになった。だからといってこれから先二度と同じことが起こらないとは言えないけれど、起こる確率は格段に減っただろう」
「……でも今回は、そういう報告はないですよね?」
今年は夏までの資料をディエゴが、それ以降をシャノンがまとめている。まだ全ての資料に目を通したわけではないが、さしずめディエゴがまとめたものは読み込んでいる。
(でも、ユキオオカミの行動変化につながるようなものは見られなかった。調査に行ったラウハたちも驚いていたくらいだから、現場をよく知っている騎士でも原因に気づくことはなかったということよね)
シャノンの問いにディエゴはうなずき、少し身を乗り出してきた。
「……この件はもちろん、閣下もご存じだ。ついでに言うと、閣下は今回の原因についてだいたいの目星をつけてらっしゃる」
「えっ、そうなのですか!?」
「ああ。でも、それを皆に知らせるつもりはないそうだ。確信がないからぬか喜びになるかもしれないし……可能性は広げておいた方がいい。閣下のお考えを広めると、他の可能性を考えることを放棄してしまうかもしれないからな」
急いて問い詰めようとしたシャノンだが、なるほどそれもそうだと勢いを収めた。
おそらくエルドレッドはユキオオカミの行動変化についての推測を、ごく一部の者にしか伝えないつもりなのだろう。ラウハたち現場で動く騎士たちにはあえて明確な推測を述べない方が、彼らの行動や思考を制限せずに済むからだ。
(明るくてどちらかというとぐいぐい行くタイプだと思っていたけれど、慎重派だったのね……)
そしてシャノンもまた、「ごく一部の者」に入れられないのだろう。
シャノンは現場に行くことがないし、自分の仕事は主に記録と騎士たちの生活管理。まだ憶測に過ぎないことを、エルドレッドがシャノンに教える必要は全くないのだ。
「そういうことでしたら、了解しました。一日も早く問題が解決することを願っております」
「そうだな。シャノンが無事を祈っていると知ると、閣下も皆もいっそう士気が上がるだろう」
ディエゴがそんなことを言うので、シャノンは笑みをこぼしてしまう。
「そんなことをおっしゃいますが、私にそんな力はありませんよ」
「君は自分の魅力を過小評価しすぎているよ。シャノンはもはや、騎士団の癒やし担当と言ってもいい。君が城で待っているから必ず帰ってこようと思えるし、君を泣かせたくないから無理をしないと思える。……そうですよね、閣下?」
「えっ」
ちょうど休憩室にいたディエゴはシャノンが書き込んだ地図を見て、うなずいた。
「うまくまとめられているな。ありがとう、シャノン」
「どういたしまして。……ユキオオカミの動き、心配ですね」
もっと言うべきこと、言いたいことはあるのに、未熟な自分では月並みな意見しか出てこないのが心苦しい。
だがディエゴは片手に持っていたコーヒー入りのマグカップをテーブルに置き、「そうだな」と穏やかな声で応じてくれた。
「今年の春から秋にかけて、ユキオオカミの食糧になる兎や狐などが激減したという話は聞かない。……食物連鎖、知っているかい?」
「はい。ユキオオカミなど食物連鎖の上に立つ者に異変が生じた場合、その原因は『食べられる側』にある可能性が高いのですよね」
一般教養として教えてくれた家庭教師の先生に心の中で感謝しつつ言うと、ディエゴはうなずいた。
「そうだ。過去にもユキオオカミの行動ルート変更が見られることがあったが、その原因はその年が冷夏で、山の草が枯れたことにあった」
「……山の草が枯れたことでそれを食べる兎が減り、本来の餌である兎の数が減ったからユキオオカミが冬の食糧を求めるために例年とは違う行動を取ったのですね」
「ああ。だから当時の辺境伯は翌年から、春から夏にかけての山の植生についても調査するようになった。だからといってこれから先二度と同じことが起こらないとは言えないけれど、起こる確率は格段に減っただろう」
「……でも今回は、そういう報告はないですよね?」
今年は夏までの資料をディエゴが、それ以降をシャノンがまとめている。まだ全ての資料に目を通したわけではないが、さしずめディエゴがまとめたものは読み込んでいる。
(でも、ユキオオカミの行動変化につながるようなものは見られなかった。調査に行ったラウハたちも驚いていたくらいだから、現場をよく知っている騎士でも原因に気づくことはなかったということよね)
シャノンの問いにディエゴはうなずき、少し身を乗り出してきた。
「……この件はもちろん、閣下もご存じだ。ついでに言うと、閣下は今回の原因についてだいたいの目星をつけてらっしゃる」
「えっ、そうなのですか!?」
「ああ。でも、それを皆に知らせるつもりはないそうだ。確信がないからぬか喜びになるかもしれないし……可能性は広げておいた方がいい。閣下のお考えを広めると、他の可能性を考えることを放棄してしまうかもしれないからな」
急いて問い詰めようとしたシャノンだが、なるほどそれもそうだと勢いを収めた。
おそらくエルドレッドはユキオオカミの行動変化についての推測を、ごく一部の者にしか伝えないつもりなのだろう。ラウハたち現場で動く騎士たちにはあえて明確な推測を述べない方が、彼らの行動や思考を制限せずに済むからだ。
(明るくてどちらかというとぐいぐい行くタイプだと思っていたけれど、慎重派だったのね……)
そしてシャノンもまた、「ごく一部の者」に入れられないのだろう。
シャノンは現場に行くことがないし、自分の仕事は主に記録と騎士たちの生活管理。まだ憶測に過ぎないことを、エルドレッドがシャノンに教える必要は全くないのだ。
「そういうことでしたら、了解しました。一日も早く問題が解決することを願っております」
「そうだな。シャノンが無事を祈っていると知ると、閣下も皆もいっそう士気が上がるだろう」
ディエゴがそんなことを言うので、シャノンは笑みをこぼしてしまう。
「そんなことをおっしゃいますが、私にそんな力はありませんよ」
「君は自分の魅力を過小評価しすぎているよ。シャノンはもはや、騎士団の癒やし担当と言ってもいい。君が城で待っているから必ず帰ってこようと思えるし、君を泣かせたくないから無理をしないと思える。……そうですよね、閣下?」
「えっ」