捨てられた『壁令嬢』、北方騎士団の癒やし担当になる
 いきなりディエゴがそう言って視線をずらすので、シャノンははっとして振り返り――いつの間にそこにいたのか、休憩室にエルドレッドの姿があったため驚いてしまった。

「閣下!?」
「立ち聞きなんて、行儀が悪いですよ」
「ドアが開けたままだったから入って……そうしたらおまえがシャノンとやけに親しげに話をするから、気になっただけだ」

 そう言うエルドレッドは少し不満げで、ディエゴをじろりと見ている。

「ディエゴ、おまえには最愛の奥方がいるだろう。シャノンに色目を使うな」
「やめてください、私はこれまで一度たりともシャノンをそのような目で見たことはありません。……だよね、シャノン?」
「ええ、もちろんです」

 同意を求められたので、しっかりうなずく。
 ディエゴは初対面のときから礼儀正しく仕事に忠実な男性で、頼りになる人だ。シャノンだって恋愛的な意味で彼のことを見たことはないし、妻と子どもを愛する素敵な旦那様だと感心しているくらいだ。

 それでもなおもエルドレッドが不機嫌そうだったので、シャノンは一歩彼に近づいた。

「閣下、本当に私たちには何もありませんからね?」
「えっ? ……あ、ああ。あなたがそう言うのなら、分かった。疑ってすまなかった、ディエゴ」
「シャノンが言うと本当に従順な飼い犬になりますよね……まあ、それはいいとして」

 ディエゴはシャノンが印を入れた地図を丸めて、座っていた椅子から立ち上がった。

「わざわざこちらにお越しになったということは、何かご用事があるのでは?」
「ああ。ゴードンたちとも話をしてやはり、私も今度のユキオオカミ調査に行くことにした」
「閣下も!?」

 思わずシャノンが声を上げると、こちらを見たエルドレッドが自信満々にうなずいた。

「ああ。子細はまだ言えないのだが、ユキオオカミの異変の原因についてある程度の見当は付いている。だが私の予想が当たっていれば大きな問題になるため、私が現地に赴いてこの目で確認することになった」

 確かに前半については既にディエゴから聞いているのだが、後半については初耳だ。
 これまでディエゴやラウハたち正騎士が調査に行っているのは知っていたが、それにエルドレッドも加わるとは。

「……大丈夫なのですか?」

 にわかに不安になってきたのでシャノンが問うと、エルドレッドはおや、とばかりに片眉を跳ね上げて笑った。

「心配されるなんて、心外だな。私はこれでも、剣の腕が立つ。これまでに冬季の雄ユキオオカミと戦ったこともあるし、雪の中でも視界がきく方だ。それに解決案について知っているのは私やゴードン、ディエゴたちくらいだから、私が行った方がいい」
「それはそうですが……」
「もしかして、心配してくれるのか?」

 声にほんの少しの期待を込めたエルドレッドが身をかがめ、シャノンの顔をのぞき込んできた。
 いつもは見上げなければならない位置にあるエルドレッドの顔が間近に迫り、シャノンは思わず後ずさりする――が、すぐにブーツのかかとが何かにぶつかった。

 硬い感覚のこれは、先ほどまでディエゴが座っていた椅子の脚だ。そしてついさっきまでシャノンの後ろにいたはずのディエゴはいつの間にか、壁際の方に移動していた。

 彼は丸めた地図を手に明後日の方向を見ており、「私は何も見ていません」と言わんばかりの態度である。

(ディエゴさーん!?)

 ついディエゴの方に助けを求めるような視線を向けてしまったのがよくなかったのか、エルドレッドはむっとした様子でシャノンの頬に触れ、自分の方に顔を向けさせた。
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