ループ中の不遇令嬢は三分間で荷造りをする

第四話 婚約のゆくえ


「殿下……どちらへ?」

 ゆるやかに動き出した馬車に、アンリエッタは焦った。このままだと、おそらく王宮かベルモンド侯爵家に連れて行かれてしまう。特に、向かっている先がベルモンド侯爵家だったら最悪だ。

「王宮に決まっているだろう」

 エドワードの返答に、アンリエッタは、王宮なら侯爵家に連絡がいくまで僅かに猶予があるかもしれないと、少しだけ安堵した。

「……それで?」
「それで、とは」
「なぜ、あの場所にいた?」

 エドワードは、アンリエッタを見据えて厳しく問いかけた。怒っているのか不機嫌なのか。エドワードの顔は変わらず秀麗なのに、アンリエッタは彼の表情が怖いと思った。

「……私、勘当され……」

 アンリエッタは、言おうとして途中で口をつぐんだ。よくよく考えたら、今回のループではまだアンリエッタは勘当されていない。直接父と話していないからだ。

「……どうした?」
「いえ、言っても信じていただけないでしょう。ですから、お話しすることはございません」

 エドワードは、ギュッと眉をひそめた。冷たい青の瞳は、更に鋭さを増す。

 アンリエッタは、しかし、このまま黙っているつもりもなかった。
 おそらく今回もまた、どこかで死を迎えて、ループしてしまうのだろう。そうしたらアンリエッタがここで聞いたことは、次の時には白紙に戻る。エドワードの行動を確かめておけば、次回の行動計画も立てやすくなるというものだ。

「殿下、お尋ねしてもよろしいですか?」
「なんだ、申せ」
「殿下は、市街地で何をされていたのですか? 平民の服をお召しになって」
「理由は二つ。一つは、君がトランクを置いて座っていたブティックに用があった」

 エドワードは、マリアンヌへの贈り物でも見繕っていたのだろうか。……いや、それなら平民のふりをする必要はないはず。
 エドワードは何かを隠していると、アンリエッタは直感した。

「もう一つは、街の警備だ。――そして、君がのこのこと犯罪者について行こうとしているところを目撃した」
「は、犯罪者?」
「そうだ。予想はしていたが、君は、自分の身が危険だったことも理解していなかったのか?」

 予想外の言葉に、アンリエッタは目を丸くした。エドワードは彼女を見て、鋭さを少し和らげる。

「近頃市街地で、女性を宿に連れ込み、無体を働いた上で殺害、金品を強奪する事件が多発している。先程の男がその犯人かは不明だが、今頃は私の護衛騎士が捕まえて取り調べを行っているところだろう」
「や、宿に……? 私、そんな惨い目に遭うところだったのですか」
「そうだ。夜の街は、世間知らずのお嬢様が一人で歩いていて良い場所ではない」

 過去三回のループよりも酷い終わりが待っていたかもしれないことに、アンリエッタは今更ながら戦慄する。

「では、殿下は私を助けて下さったのですね。ありがとうございます」
「当然だ。婚約者だからな」
「……婚約者……?」

 アンリエッタは、エドワードの返答に違和感を覚えた。
 過去三回のループでは、この夜にはすでにマリアンヌとの婚約が決まっていたはずだ。少なくとも、ベルモンド侯爵はそう言っていたし、三回とも同じ文言を聞かされた。だから、アンリエッタは告げられた言葉を一言一句間違いなく覚えている。

「何かおかしいか?」
「いえ、殿下は義姉のマリアンヌと婚約を結ばれたと聞きましたので」
「……何?」
「私はそれで、勘――いえ、悲しくなって家出をしてきたのですわ」

 今度は、アンリエッタの言葉にエドワードが目を丸くする番だった。アンリエッタは、今の私の言葉に驚く要素があったかしらと不審に思いながらも、言うべきことを告げる。

「ですから、ベルモンド侯爵家には戻りません。私は仕事を探して、市井で生きてゆきたいのです。それから……」

 アンリエッタは、そこで喉を少しだけ詰まらせた。冷たい態度を取られてはいたものの、やはりずっとこの人の妻になるつもりで生きてきたのだから、多少は悲しさや寂しさがあるらしい。

「――それから、マリアンヌ()とのご婚約、おめでとうございます」

 アンリエッタはそう言い切って、目を伏せ目礼した。こうしていれば感情の揺れを見られなくて済んで、好都合である。

「――違う」

 エドワードは、今までで一番冷たい声を発した。アンリエッタは、びくりと肩を揺らしたが、目は伏せたまま。

「顔を上げろ、アンリエッタ」
「……はい」

 目を上げたアンリエッタが見たエドワードの顔に浮かんでいたのは、彼女が予想していたどの表情とも違っていた。
 ――この上なく優しい、慈愛に満ちた微笑み。
 目の前にいるのは愛しいマリアンヌではないのに、声はすごく冷たいのに。エドワードの表情は、アンリエッタにとって、ひどくちぐはぐなものに感じられた。

「君がどうして勘違いをしたのか知らないが、訂正しておこう。私と君との婚約は解消されていないし、マリアンヌ嬢との婚約も決定していない」
「……え……? 嘘ですわ、だって」
「君は、婚約破棄の手続きを取った記憶があるか? 私にはない」

 確かに、エドワードの言った通りだった。婚約破棄にはちゃんとした手続きが必要なはずだが、関係する書類を見た覚えも、ましてやサインした覚えもない。

「では、私……」
「そうだ。君は紛れもなく、今も私の婚約者だ」

 エドワードは、混乱するアンリエッタの手を取った。
 ちぐはぐだった微笑みに、先程よりも優しくなった声色が、ぴたりと合致する。

「アンリエッタ・ベルモンド。私と結婚してくれ」

 眉目秀麗な王太子は、そう言ってアンリエッタの手の甲に、そっと口づけを落とす。
 はじめて触れる婚約者の愛情表現に、アンリエッタは戸惑うばかりだった。
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