ループ中の不遇令嬢は三分間で荷造りをする
第七話 二度目の求婚
その後は大変だった。
アンリエッタに会いに行っても、毎回お邪魔虫がくっついてくる。
嘘を並べ立て、無闇に人の婚約者に触れ、偽りの涙を流すマリアンヌは、エドワードにとって、ただ滑稽で哀れだった。
自ら知識や技術を得ようともしない、外見だけの――いや、エドワードからしたら外見すらアンリエッタに劣るが――中身のない空虚な令嬢は、話していても何一つ楽しくない。
エドワードはその内心を隠すため、常に笑顔を作っていたが、そこに憐憫の情が乗るのは仕方のないことであった。
マリアンヌと話すようになったことで、エドワードは、アンリエッタがどれほど努力家で気高く、素晴らしい女性なのか再認識した。
ただし、アンリエッタは気高いがゆえに、他者に助けを求めない。気高いがゆえに、義姉や婚約者に対して強く何かを主張することができない。
エドワードは、アンリエッタに直接頼ってもらうのではなく、陰で『義妹いびり』の証拠を集めることに決めた。
証拠集めという理由もあって、エドワードがマリアンヌと過ごす時間は増え、逆にアンリエッタとの時間は徐々に減って行く。
アンリエッタも王太子妃教育にかなりの時間を割くようになり、社交の際も、侯爵が「アンリエッタは病気だ」と詐称し、かわりにマリアンヌを連れてくるようになった。
『義妹いびり』の証拠を集めているうちに、侯爵家の大きな嘘も、明らかになった。
――横領。二重帳簿。
ベルモンド侯爵は、妻や息子やマリアンヌに、高価なものをどんどん買い与えていた。その資金は、侯爵家が自分たちで自由に使える分を優に超えていたのだ。
また、マリアンヌがアンリエッタから奪ったドレスやアクセサリーも、マリアンヌが飽きるとすぐさま売りに出していた。その中には、エドワードがアンリエッタに贈ったものも含まれている。
貴族街で売っては足がつくため、侯爵夫人の持つ伝手をたどって、平民街にあるブティックへ売り払われていた。
そして、満月の夜。
エドワードは、ブティックの場所を突き止めた。本当にアンリエッタのドレスが売られているか確かめるために店を訪れ、帰り際に少し、街の見回りをしようと考えていた。
このところ、物騒な噂をよく耳にする。もちろん護衛騎士を近くに待機させはするが、王太子としても一騎士としても看過できず、自分の目で街の様子を探りたかった。
平民街にしては小綺麗なブティックには、アンリエッタのドレスやアクセサリーが、いくつも並んでいた。その中には、エドワードがアンリエッタに贈ったものもある。
ドレスは平民には必要のないもののため売れることはないが、店頭ディスプレイとして役に立つ。役目を終えたら、いずれ貴族街の端にある系列店に持っていくのだそうだ。
エドワードは、怒りを抑えつつ、「また来る」と言い残してブティックを立ち去った。
その時だった。
ブティックの横で、アンリエッタが、中年の男に絡まれているのを見つけたのは――。
*
あたたかな春の陽射しが、柔らかく差し込む午後のひととき。
美しい花に彩られた王宮の庭園を散策していた二人だが、エドワードは、一本の樹木の前で突然立ち止まる。
アンリエッタも、すぐに足を止めた。
薄桃色の花弁が、風に散らされ二人の周りをひらひらと舞う。
「ところで、アンリエッタ。返事をまだもらっていなかったな」
「あ……」
アンリエッタは、馬車の中でのエドワードの求婚に、まだ応えていなかった。確かめたいことがあるからと、返事を保留にしていたのだ。
「もう、確かめたいことというのは、済んだのか」
「……はい」
「ならば、もう一度」
エドワードは、アンリエッタの前に跪いた。
ざあ、と音を立てて風が吹き、薄桃色の花吹雪が、二人を包み込む。
「アンリエッタ。私と結婚してくれ」
二人きりの世界で、煌めく金髪が風に揺れ、サファイアの瞳は真摯に、真っ直ぐにアンリエッタを捉える。
アンリエッタは、二度目の求婚に、エメラルドの瞳を潤ませた。紅い髪を風に柔らかく靡かせて、彼女は、真心を込めて返事をした。
「……もう少し。もう少しだけ、お待ちいただけますか」
エドワードは、表情を失ってゆく。風が止み、薄桃色の花弁も、空しく地面に落ちていった。
エドワードは、隠しようもない震え声で、アンリエッタに尋ねる。
「……理由は。理由はなんだ」
「私が……弱いからです」
義姉にさえ言い返せない、その心の弱さが、アンリエッタは不安だった。これほど弱くては、王太子妃など務まらないのではないか。そう思い、アンリエッタは俯く。
「……ふむ」
それを見たエドワードは、庭園の木の枝を一本、拝借した。最初から折れかけ、垂れ下がっていた枝だ。
エドワードはアンリエッタのもとに戻ると、予備動作もなく、いきなり枝をアンリエッタに向けて、真上から振り下ろした。
アンリエッタは、咄嗟にそれを両手で挟み、止める。
「殿下! いきなり何をなさるのです!」
「――君は、強い」
「……え?」
エドワードはくつくつと楽しそうに笑い、枝から手を離した。アンリエッタは、枝を静かに地面に落とす。薄桃色の絨毯が、少しだけ跳ね上がった。
アンリエッタは、こんなに楽しそうに笑うエドワードを、はじめて見た。
「私も騎士に交じって鍛錬しているから、そこそこ強いはずなのだが。自信を無くすよ」
「いえ、その、殿下はお強いです。けれど、私の言った『弱い』はそういう意味ではなくて……」
「アンリエッタ」
エドワードは、アンリエッタの名を呼んだ。穏やかに、優しく。楽しそうに。
「私は、君を逃すつもりはない。君が承諾してくれるまで、毎日君に結婚を申し込むから、覚悟しておくのだな」
「えっ……!?」
アンリエッタの頬が、ピンク色に染まる。
エドワードがアンリエッタにドレスを贈った時と、同じ色で。同じ温度で。
周囲の薄桃色よりも、鮮やかに。美しく。
エドワードは、あの時からずっと呼んでみたかった呼び方で、アンリエッタの名を囁いた。優しく、愛おしく。
「愛しているよ――アン」
今は、アンリエッタからの返事はない。
けれどアンリエッタの反応は、エドワードにこれからを期待させるには、充分すぎる程だった。
〈了〉