私のことは忘れてください、国王陛下!~内緒で子供を生んだら、一途な父親に息子ごと溺愛されているようです!?~【極上シンデレラシリーズ】
◆
……それにしてもこの人、しゃべらないな……!
ベッドに横たわったままの男の人を見ながら、私はごくりと唾を呑んだ。
彼は目を覚ましたものの、わずかに顔を動かしてあたりの様子を見ただけで、それ以外はぴくりとも動かなかったのだ。
目は確かに開かれているのだけれど、その顔は美しいと同時にどこか虚(うつ)ろで、半分死んでいるように見えた。
……これはなかなか傷が深そうだな……。それとも、毒の影響なのかな?
世の中には体の自由を奪う毒もたくさんあるから、そういう類のものだったのかもしれない。
そう思いながら、私は彼の頭の後ろにクッションを挟んだ。すぐさま、彼の瞳が「何をするんだ」と言わんばかりに険しく見開かれる。
まぁそうだよね。だって私、仮面をつけたままだし……。
おばあちゃんに言われたのだ。「念のため正体は隠しておきな」と。
実際、万が一ウィロピー男爵と繋がりがある人だったら私も困るしね……。
気まずく思いながらも、私はスプーンに薬を掬(すく)い取り、彼の口元に運んだ。
……が、いつまで経っても彼の口は開かれない。目の開き方からして、口元も動くはずなんだけれど……。
「あの……薬を飲んでほしいのだけど……」
困ったように言うと、ようやく彼の唇がうっすらと開かれた。
うんうん、そうだよね。もし私がこの人を殺したいのなら、最初から助けずに放置するだけで十分だもの。そのあたりは彼もきちんと理解しているらしい。
こくり、こくり……。
ペースはゆっくりではあるものの、回復薬が少しずつ彼の口の中に吸い込まれていく。
同時に銀色の長いまつげが、七色の瞳に影を作った。
伏せられた瞳は愁(うれ)いを帯びていて、薬を飲むというたったそれだけの動作であるにもかかわらず、彼の姿は絵画の一部のように美しかった。
…………この人、改めて見ると本当にすごい美青年だな……。
男の人を綺麗なんて思ったのは初めてだ。
もちろんごつごつとした喉仏や、スッと通った高い鼻のように、男らしい部分もたくさんある。にもかかわらず、どうしても一番最初に「綺麗だな」という感想が出てきてしまう。
絵本に出てくる王子さまってこういう顔をしているのかな、なんて思ってしまうくらいだ。
一瞬、我がキャタニク王国の王子さまなんじゃ?とも考えてみたけれど、すぐにその考えは消えた。
だってキャタニクにいるふたりの王子さまは、どちらも金髪に青い瞳をしていると以前お姉さまから聞いたことがある。だから王子さまのはずはなかった。
「あの……名前は言える? 呼ぶ時に困るから、できたら名前を教えてもらえると嬉しいのだけど……」
そう聞くと、彼は眉間にしわを寄せながらもぼそりと答えてくれた。
「…………ウィル」
少しかすれた声はどこか甘く、大層魅力的な声でもあった。
うわ……! かっこいい人って声までかっこいいのね……!
なんて謎の感動をしてしまうくらい。
それから私は、少しでもウィルの警戒を解くためににこりと微笑んでみせた。
「ウィルね。私はリディアよ。こっちはアデーレおばあちゃん」
「ふん」
少し離れたところで見ていたおばあちゃんが不愉快そうに鼻を鳴らす。
まだ、彼をここに留め置くことに反対なのだ。
実はウィルが目覚めた直後も、おばあちゃんはこう言っていた。
『悪いことは言わない。今すぐこの男を追い出しな! 絶対めんどくさいことになるから!』
一度は受け入れようとしたおばあちゃんがなんで今になって反対しだしたかはわからないけれど、ここまで来てウィルを追い出せるはずもなかった。森に放り出して死なれたら寝覚めが悪いもの。
だから「ウィルは私が責任を持って看病するわ!」と言って、ようやく彼を留め置けることになったのだ。
思い出しながら、私はせっせと彼の看病を始めたのだった。
◆
「調子はどう?」
ひょこりと顔を覗(のぞ)かせれば、ウィルがベッドの上で腕を曲げ伸ばししているところだった。
彼はベッドに座るくらいならできるようになったものの、あばらが折れていることもあり、まだまだ回復に時間はかかりそうだ。
それに魔法毒は神経にまで影響を及ぼしているようで、腕もまだしびれてうまく動かせないらしい。
「ちょっと待っててね。今ちゃちゃっとお昼ご飯作っちゃうから」
言うなり、私は実家から持ってきた卵を使って簡単なご飯を作り始めた。
「リディア。あたしゃオムレツにはキノコ派なんだ。それも入れとくれ」
「わかったわ」
私はおばあちゃんの要望通り、キノコをたっぷり入れたオムレツを作る。
ひと皿はおばあちゃんに、そしてもうひと皿を持って、私はウィルのいるベッドの横に座った。
「ウィルはキノコ平気?」
私が尋ねると、ウィルは警戒したように私を見る。
かと思うと、ぼそりと返事をした。
「……ああ、特に好き嫌いはない」
まだまだ警戒されているものの、最近はこうしてちゃんと返事をしてくれるようになってきた。
それを嬉しく思いながら、私はできたてほやほやのオムレツを乗せたスプーンを差し出した。
「よかった。それじゃどうぞ。あーんして」
「っ……!」
ウィルが、照れたように少し横を向く。
……まぁ成人男性があーんしてもらうことなんて普通はないもんね。
「照れている場合じゃないでしょう。ウィルの腕、まだ動かないんだから体力をつけないと。ほら、早く」
私が急かすと、ウィルは照れながらもようやく口を開けてくれた。
その口の中に、ぽんとスプーンを入れる。
「うん! 上手にできました!」
「……子供ではないのだが……」
そう言って気まずそうな顔で照れるウィルは、大層可愛らしかった。
彼は黙っていると、美しすぎてどこか近寄りがたさすら感じる。けれどこういう風に照れている彼の顔はどこかあどけなく、そして可愛いのだ。
……もしかしたら年齢は私とそこまで変わらないのかな……?
十六歳の私より三、四歳は年上に見えるから……二十歳かそこらなのかもしれない。
そんな年齢で命を狙われるなんて……大変だ。
それに看病していて気づいたのだけれど、ウィルの体には今回だけではない、たくさんの傷があった。
鞭で打たれたような傷に、ひどいやけどの痕。それに、今回のような矢傷や剣でついた傷も……。
それはたとえ騎士だったとしても、あまりに多すぎる数で。
ウィルの背中を拭きながら、私は彼が置かれた環境を思ってぎゅっと口を結んだ。
◆
やがて魔法薬と看病のかいがあって、ウィルは少しずつ元気を取り戻していった。
手足のしびれが取れて自分で歩けるようになり、身の回りの世話も私の手なしでできるようになった。
すると途端に、おばあちゃんが口うるさく言い始めたのだ。
「治ったんならさっさとこの家から出ておいき! あんたのせいであたしゃ体が痛くてしょうがないよ!」
まぁウィルが来てからというもの、おばあちゃんはずっと床に敷いた毛布の上で寝ていたから無理もないんだけれど……。
「まぁまぁおばあちゃん……。治ったといってもまだ万全というわけじゃないんだから」
とはいえ、ウィルが自分の家に帰るにしても、ここは馬もないし、帰るためには何日も歩かないといけないのだ。
そのための体力が彼にあるかどうかと言われると、まだ自信がない。
そもそも、まだあばらがくっついているかも怪しい。
私がおばあちゃんをなだめようとすると、当の本人であるウィルがスッと頭を下げた。
「わかった。ならしばらく、隣の敷地をお借りしてもいいだろうか」
――最近のウィルは警戒心がとけたのか、私たちに対してだいぶ態度がやわらかくなっていた。
そうすると、少しずつ彼の人となりが見えてくるようになる。
村の人たちとは全然違う丁寧な言葉遣いに、気品あふれる所(しょ)作(さ)。
食事をする時だって、ひとつひとつの動きがとても洗練されていて、隅々まで磨き抜かれてきたのがわかる。
今のお辞儀だって、まるで絵画を見ているよう。
思わずほぅ……!と感嘆のため息が漏れてしまったくらいよ。
……うん。
わかっちゃいたけど、これはどこからどう見ても平民じゃないわね。王子ではないにしても、絶対どこかの高位貴族だ。
侯爵――いや下手すると公爵だったりして。
だったら彼のことを「ウィルさま」とお呼びするべきなのかもしれないが、そのあたりはあえて知らないふりをしていた。
彼が自分のことを多く語らないということは、きっと知られたくない何かがあるのだろう。
私は私で偽名な上に、常に仮面をつけて顔を隠しているしね……。
それよりも……。
私は眉間にしわを寄せた。
侯爵も公爵も、どちらもお継母さまとお姉さまの大好物(?)だ。
ウィルの存在がバレたらきっと、彼女たちはすぐさま乗り込んでくる。そしてウィルの実家に、ここぞとばかりに恩を売りつけるだろう。
しかもウィルはこんなに麗しいのだから、カトリーヌお姉さまだったらきっと婚約を迫るに違いない。
なら絶対に、実家に彼の存在がバレないようにしないと……!
私は気を引きしめると、ぐっと拳を握った。
そんな私の隣では、おばあちゃんがウィルの言葉に不愉快そうに眉をひそめている。
「隣の敷地って、どういうことだい? そこで野宿でもしようってのか?」
おばあちゃんがそう言った直後だった。
ウィルがすたすたと外に出たかと思うと、空に向かって手を掲げたのだ。
そしてスッと手を振った次の瞬間、そばにあった木がスパパパパンと切れて、一瞬にして見事な木材が出現していた。
「おぉ!?」
しかもそれだけじゃない。切り出された木材はふわふわと宙をただよい、ドンドンと地面に積み上がったかと思うと――あっという間におばあちゃんの家の隣に、小さな小屋が建ってしまったのだった。
「ほう。あんたの魔法かね」
「ああ。魔法は少し得意なんだ」
ウィルが淡々として言った。
すごい。一瞬で小屋を建ててしまったのにこの余裕っぷり! どうやら彼は生まれがいいだけでなく、魔法の才能もあるらしい。
「アデーレ殿の邪魔はしない。帰る準備が整うまでの間だけ、ここに滞在してもいいだろうか」
確かにこれなら、おばあちゃんの邪魔はしていないことになる。
私がちらりと見ると、おばあちゃんもやれやれといった様子でため息をついていた。
「……仕方ないねぇ。帰る時にはちゃんと、そのデカブツを片づけていくんだよ」
「もちろんだ」
「よかったねウィル。これで落ち着いて治療できるね」
私が言うと、なぜかウィルが不思議そうにこちらを見た。
「…………リディアはどうして、私にこんなに優しくしてくれるんだ?」
「へっ?」
なんでって……考えたこともなかったな。
首をひねっていると、なおもウィルが続けた。
「私に優しくしたところで、なんの見返りもないだろう。私がここから離れたら行方だってわからなくなるのに」
「なんだ、そんなこと」
ウィルの言葉に私はあははっと笑った。
「そもそも、人に優しくするのに理由なんていらないでしょう?」
「それは……」
「人によっては見返りが欲しいのかもしれないけれど、私は興味ないかな。だから――」
言って、私はウィルに向かってにこっと微笑んだ。
「ここでだけは安心して過ごしてほしいな。私も、おばあちゃんも、うさぎさんたちも、ここにいる人はみんな、ウィルの笑顔が見たいだけだから。何があったかは知らないけれど……私たちはウィルの味方だよ」
私の言葉に、ウィルがハッと大きく目を見開いた。
……もしかして、今のちょっと大げさすぎた?
なんて考えていると、おばあちゃんがハンッ!と鼻を鳴らす。
「あたしゃさっさと帰ってほしいけどね!」
「もう、おばあちゃんたら!」
――こうしてウィルは、新たに彼の小屋で生活をするようになったのだった。
……それにしてもこの人、しゃべらないな……!
ベッドに横たわったままの男の人を見ながら、私はごくりと唾を呑んだ。
彼は目を覚ましたものの、わずかに顔を動かしてあたりの様子を見ただけで、それ以外はぴくりとも動かなかったのだ。
目は確かに開かれているのだけれど、その顔は美しいと同時にどこか虚(うつ)ろで、半分死んでいるように見えた。
……これはなかなか傷が深そうだな……。それとも、毒の影響なのかな?
世の中には体の自由を奪う毒もたくさんあるから、そういう類のものだったのかもしれない。
そう思いながら、私は彼の頭の後ろにクッションを挟んだ。すぐさま、彼の瞳が「何をするんだ」と言わんばかりに険しく見開かれる。
まぁそうだよね。だって私、仮面をつけたままだし……。
おばあちゃんに言われたのだ。「念のため正体は隠しておきな」と。
実際、万が一ウィロピー男爵と繋がりがある人だったら私も困るしね……。
気まずく思いながらも、私はスプーンに薬を掬(すく)い取り、彼の口元に運んだ。
……が、いつまで経っても彼の口は開かれない。目の開き方からして、口元も動くはずなんだけれど……。
「あの……薬を飲んでほしいのだけど……」
困ったように言うと、ようやく彼の唇がうっすらと開かれた。
うんうん、そうだよね。もし私がこの人を殺したいのなら、最初から助けずに放置するだけで十分だもの。そのあたりは彼もきちんと理解しているらしい。
こくり、こくり……。
ペースはゆっくりではあるものの、回復薬が少しずつ彼の口の中に吸い込まれていく。
同時に銀色の長いまつげが、七色の瞳に影を作った。
伏せられた瞳は愁(うれ)いを帯びていて、薬を飲むというたったそれだけの動作であるにもかかわらず、彼の姿は絵画の一部のように美しかった。
…………この人、改めて見ると本当にすごい美青年だな……。
男の人を綺麗なんて思ったのは初めてだ。
もちろんごつごつとした喉仏や、スッと通った高い鼻のように、男らしい部分もたくさんある。にもかかわらず、どうしても一番最初に「綺麗だな」という感想が出てきてしまう。
絵本に出てくる王子さまってこういう顔をしているのかな、なんて思ってしまうくらいだ。
一瞬、我がキャタニク王国の王子さまなんじゃ?とも考えてみたけれど、すぐにその考えは消えた。
だってキャタニクにいるふたりの王子さまは、どちらも金髪に青い瞳をしていると以前お姉さまから聞いたことがある。だから王子さまのはずはなかった。
「あの……名前は言える? 呼ぶ時に困るから、できたら名前を教えてもらえると嬉しいのだけど……」
そう聞くと、彼は眉間にしわを寄せながらもぼそりと答えてくれた。
「…………ウィル」
少しかすれた声はどこか甘く、大層魅力的な声でもあった。
うわ……! かっこいい人って声までかっこいいのね……!
なんて謎の感動をしてしまうくらい。
それから私は、少しでもウィルの警戒を解くためににこりと微笑んでみせた。
「ウィルね。私はリディアよ。こっちはアデーレおばあちゃん」
「ふん」
少し離れたところで見ていたおばあちゃんが不愉快そうに鼻を鳴らす。
まだ、彼をここに留め置くことに反対なのだ。
実はウィルが目覚めた直後も、おばあちゃんはこう言っていた。
『悪いことは言わない。今すぐこの男を追い出しな! 絶対めんどくさいことになるから!』
一度は受け入れようとしたおばあちゃんがなんで今になって反対しだしたかはわからないけれど、ここまで来てウィルを追い出せるはずもなかった。森に放り出して死なれたら寝覚めが悪いもの。
だから「ウィルは私が責任を持って看病するわ!」と言って、ようやく彼を留め置けることになったのだ。
思い出しながら、私はせっせと彼の看病を始めたのだった。
◆
「調子はどう?」
ひょこりと顔を覗(のぞ)かせれば、ウィルがベッドの上で腕を曲げ伸ばししているところだった。
彼はベッドに座るくらいならできるようになったものの、あばらが折れていることもあり、まだまだ回復に時間はかかりそうだ。
それに魔法毒は神経にまで影響を及ぼしているようで、腕もまだしびれてうまく動かせないらしい。
「ちょっと待っててね。今ちゃちゃっとお昼ご飯作っちゃうから」
言うなり、私は実家から持ってきた卵を使って簡単なご飯を作り始めた。
「リディア。あたしゃオムレツにはキノコ派なんだ。それも入れとくれ」
「わかったわ」
私はおばあちゃんの要望通り、キノコをたっぷり入れたオムレツを作る。
ひと皿はおばあちゃんに、そしてもうひと皿を持って、私はウィルのいるベッドの横に座った。
「ウィルはキノコ平気?」
私が尋ねると、ウィルは警戒したように私を見る。
かと思うと、ぼそりと返事をした。
「……ああ、特に好き嫌いはない」
まだまだ警戒されているものの、最近はこうしてちゃんと返事をしてくれるようになってきた。
それを嬉しく思いながら、私はできたてほやほやのオムレツを乗せたスプーンを差し出した。
「よかった。それじゃどうぞ。あーんして」
「っ……!」
ウィルが、照れたように少し横を向く。
……まぁ成人男性があーんしてもらうことなんて普通はないもんね。
「照れている場合じゃないでしょう。ウィルの腕、まだ動かないんだから体力をつけないと。ほら、早く」
私が急かすと、ウィルは照れながらもようやく口を開けてくれた。
その口の中に、ぽんとスプーンを入れる。
「うん! 上手にできました!」
「……子供ではないのだが……」
そう言って気まずそうな顔で照れるウィルは、大層可愛らしかった。
彼は黙っていると、美しすぎてどこか近寄りがたさすら感じる。けれどこういう風に照れている彼の顔はどこかあどけなく、そして可愛いのだ。
……もしかしたら年齢は私とそこまで変わらないのかな……?
十六歳の私より三、四歳は年上に見えるから……二十歳かそこらなのかもしれない。
そんな年齢で命を狙われるなんて……大変だ。
それに看病していて気づいたのだけれど、ウィルの体には今回だけではない、たくさんの傷があった。
鞭で打たれたような傷に、ひどいやけどの痕。それに、今回のような矢傷や剣でついた傷も……。
それはたとえ騎士だったとしても、あまりに多すぎる数で。
ウィルの背中を拭きながら、私は彼が置かれた環境を思ってぎゅっと口を結んだ。
◆
やがて魔法薬と看病のかいがあって、ウィルは少しずつ元気を取り戻していった。
手足のしびれが取れて自分で歩けるようになり、身の回りの世話も私の手なしでできるようになった。
すると途端に、おばあちゃんが口うるさく言い始めたのだ。
「治ったんならさっさとこの家から出ておいき! あんたのせいであたしゃ体が痛くてしょうがないよ!」
まぁウィルが来てからというもの、おばあちゃんはずっと床に敷いた毛布の上で寝ていたから無理もないんだけれど……。
「まぁまぁおばあちゃん……。治ったといってもまだ万全というわけじゃないんだから」
とはいえ、ウィルが自分の家に帰るにしても、ここは馬もないし、帰るためには何日も歩かないといけないのだ。
そのための体力が彼にあるかどうかと言われると、まだ自信がない。
そもそも、まだあばらがくっついているかも怪しい。
私がおばあちゃんをなだめようとすると、当の本人であるウィルがスッと頭を下げた。
「わかった。ならしばらく、隣の敷地をお借りしてもいいだろうか」
――最近のウィルは警戒心がとけたのか、私たちに対してだいぶ態度がやわらかくなっていた。
そうすると、少しずつ彼の人となりが見えてくるようになる。
村の人たちとは全然違う丁寧な言葉遣いに、気品あふれる所(しょ)作(さ)。
食事をする時だって、ひとつひとつの動きがとても洗練されていて、隅々まで磨き抜かれてきたのがわかる。
今のお辞儀だって、まるで絵画を見ているよう。
思わずほぅ……!と感嘆のため息が漏れてしまったくらいよ。
……うん。
わかっちゃいたけど、これはどこからどう見ても平民じゃないわね。王子ではないにしても、絶対どこかの高位貴族だ。
侯爵――いや下手すると公爵だったりして。
だったら彼のことを「ウィルさま」とお呼びするべきなのかもしれないが、そのあたりはあえて知らないふりをしていた。
彼が自分のことを多く語らないということは、きっと知られたくない何かがあるのだろう。
私は私で偽名な上に、常に仮面をつけて顔を隠しているしね……。
それよりも……。
私は眉間にしわを寄せた。
侯爵も公爵も、どちらもお継母さまとお姉さまの大好物(?)だ。
ウィルの存在がバレたらきっと、彼女たちはすぐさま乗り込んでくる。そしてウィルの実家に、ここぞとばかりに恩を売りつけるだろう。
しかもウィルはこんなに麗しいのだから、カトリーヌお姉さまだったらきっと婚約を迫るに違いない。
なら絶対に、実家に彼の存在がバレないようにしないと……!
私は気を引きしめると、ぐっと拳を握った。
そんな私の隣では、おばあちゃんがウィルの言葉に不愉快そうに眉をひそめている。
「隣の敷地って、どういうことだい? そこで野宿でもしようってのか?」
おばあちゃんがそう言った直後だった。
ウィルがすたすたと外に出たかと思うと、空に向かって手を掲げたのだ。
そしてスッと手を振った次の瞬間、そばにあった木がスパパパパンと切れて、一瞬にして見事な木材が出現していた。
「おぉ!?」
しかもそれだけじゃない。切り出された木材はふわふわと宙をただよい、ドンドンと地面に積み上がったかと思うと――あっという間におばあちゃんの家の隣に、小さな小屋が建ってしまったのだった。
「ほう。あんたの魔法かね」
「ああ。魔法は少し得意なんだ」
ウィルが淡々として言った。
すごい。一瞬で小屋を建ててしまったのにこの余裕っぷり! どうやら彼は生まれがいいだけでなく、魔法の才能もあるらしい。
「アデーレ殿の邪魔はしない。帰る準備が整うまでの間だけ、ここに滞在してもいいだろうか」
確かにこれなら、おばあちゃんの邪魔はしていないことになる。
私がちらりと見ると、おばあちゃんもやれやれといった様子でため息をついていた。
「……仕方ないねぇ。帰る時にはちゃんと、そのデカブツを片づけていくんだよ」
「もちろんだ」
「よかったねウィル。これで落ち着いて治療できるね」
私が言うと、なぜかウィルが不思議そうにこちらを見た。
「…………リディアはどうして、私にこんなに優しくしてくれるんだ?」
「へっ?」
なんでって……考えたこともなかったな。
首をひねっていると、なおもウィルが続けた。
「私に優しくしたところで、なんの見返りもないだろう。私がここから離れたら行方だってわからなくなるのに」
「なんだ、そんなこと」
ウィルの言葉に私はあははっと笑った。
「そもそも、人に優しくするのに理由なんていらないでしょう?」
「それは……」
「人によっては見返りが欲しいのかもしれないけれど、私は興味ないかな。だから――」
言って、私はウィルに向かってにこっと微笑んだ。
「ここでだけは安心して過ごしてほしいな。私も、おばあちゃんも、うさぎさんたちも、ここにいる人はみんな、ウィルの笑顔が見たいだけだから。何があったかは知らないけれど……私たちはウィルの味方だよ」
私の言葉に、ウィルがハッと大きく目を見開いた。
……もしかして、今のちょっと大げさすぎた?
なんて考えていると、おばあちゃんがハンッ!と鼻を鳴らす。
「あたしゃさっさと帰ってほしいけどね!」
「もう、おばあちゃんたら!」
――こうしてウィルは、新たに彼の小屋で生活をするようになったのだった。