白い結婚?喜んで!〜旦那様、その恋心は勘違いですよ〜
「君はいいのか?」
「はい、芝の感触が好きなんです!」
「そうか。僕は遠慮なく使わせてもらう」
 昨日は少し威圧的な雰囲気の方かと思ったけれど、今はそんな風に感じない。これも、ヴァンドームの屋敷の素晴らしい庭園のおかげなのかもしれない。
「ベンチの方がよろしければそちらでも」
「いや、構わない」
 心地良い朝風がそよそよと吹き、旦那様の紫黒の髪を揺らす。外の光に照らされたそれは、室内の時とはまた違った色合いに見えた。
 彼はマリッサが敷いたござの上に座り、私はその隣に腰を下ろす。いくら自由が許可されているからといって、これははしたなかったかもしれないと今さら後悔した。
「僕が今まで結婚を避けてきた理由はいくつかあるけれど、最大の要因は《香り》なんだ。ジャラライラの香りは、自分の意思とは関係なく異性を惹きつける」
「ほえぇ、お伽話みたい」
 あまりに現実味がなくて、つい子供みたいな反応をしてしまった。
「香りが肌に移る人間は、決して多くない。その条件も改善案も、詳細はまだ解明されていない。少なくとも今のヴァンドーム家では、僕一人だった」
「なるほど。つまり、蟻達が角砂糖に群がるのと似たようなものということですね?」
「間違ってはいないが、もう少し表現の仕方があったように思う」
 旦那様は渋い顔をするけれど、シーズンの蟻達は本当に素晴らしいと思う。長い隊列を組んで協力して餌を運び、道しるべとなる匂いを地面につけて、ちゃんと巣に帰ることが出来る。
 観察するたびに新たな発見があって、あの黒々とした体が美しく光って見えてくる。
「そういえば、旦那様の髪と瞳の色ってなんだかクルンクトゥスオオアリによく似て……」
「やめてくれ。鏡を見るたびに思い出しそうになるから」
 さらに頭を抱えてしまったので、フィリアの蟻講座はここまでにすることにした。
「話を元に戻すが。大げさな表現をすれば、ジャラライラには媚薬香水のような効果があると」
「ええっ、凄い!」
 口元を手で覆いながら大いに驚くと、彼は驚いている私を見て驚いている様子だった。
「まさか理解していなかったのか」
「私が肉の焼ける匂いにつられるようなものなのかと」
「……はは、君は初心なんだな」
 なぜか憐れむような表情で、優しく肩を叩かれた。
「僕が女性に言い寄られるのは、主にこの香りのせいだ。家名や財産も含め、非常に厄介な女性たちに絡まれてばかりで、いい加減うんざりしていた」
「それはなんとも、大変そうですね」
 そんなに辛い思いをしていても、立場上独身を貫くわけにもいかない。旦那様は、サイコロで結婚相手を選んでも構わないと思うほどに追い詰められていたのかもしれないと思うと、つきんと胸が痛んだ。
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