白い結婚?喜んで!〜旦那様、その恋心は勘違いですよ〜
 旦那様の部屋に着くと、ランプに照らされた横顔から目を離せなくなる。ジャラライラの花の効果なんてなくても、旦那様自身から甘くて魅惑的な香りが漂っている。落ち着くようなそわそわするような、不思議な空気感に包まれていた。
 たくさんの女性を虜にする、整った美しい顔。長い手足とさらさらの髪。紫黒の瞳は吸い込まれそうで、思わず手を伸ばしそうになった。
「今日の君は一層素敵だ」
 全身が宝石で出来たような神々しい人にそんな風に言われると、今すぐ両手で顔を覆いたくなる。つり合わないことは重々承知で、それでも彼の側にいたいと望んだ。卑屈な感情は視界を曇らせ、大切な人を傷付けてしまう要因になり得るから。
 ベッドに浅く腰掛けて、手招きするように私の指先に触れる。どきどきと高鳴る鼓動を必死に抑えながら、そっと彼に倣った。
「フィリア、僕は君が好きだ」
「私も、旦那様が好きです」
 互いの気持ちの確認は、あっという間に済んだ。私達は目を見合わせてしばらく見つめ合った後、我慢出来ずに小さく笑う。
「口にするまでに半年かかってしまった」
「確かに、思いきれば一瞬でしたね」
「だが、今までの人生で一番幸福な時間だった」
 駆け引きなんて出来ないから、普通に夫婦生活を満喫してしまった。旦那様との日々はあっという間で、美味しいワインの酔いに任せてベッドに入りたくないと駄々をこねたことも、何度かあった気がする。
 寝たら会えなくなると思っていたけれど、ちゃんと夢にも出てきてくれた。お子様な私に恋なんて自覚出来るのかと不安だったのに、そんな心配は一切必要なかった。
「貴方と出会えて、本当によかった」
「フィリア……」
「世界で一番、幸せになってほしい人です」
 笑いたいような泣きたいような、不思議な気持ちが体中を駆け巡る。だけどやっぱり、とびきりの笑顔で可愛いと思われたい。そんな思いで彼を見上げると、綺麗な紫黒の瞳にみるみるうちに涙が溜まっていくのが見てとれた。
「だ、旦那様!?私何か変な言い方を……っ」
「自分でも、よく分からない」
 私の手を握ったまま、旦那様は私の肩にとんと額を乗せる。普段見上げるばかりだった彼の頭が間近にあるのは、なんだか新鮮だ。
「フィリアといると、自分が自分でなくなる気がする。感情をコントロール出来ないことが怖いのに、もっと君に振り回されたいとも思う。今が幸せ過ぎて、それが目の前から消えた時の対処法ばかり考えてしまうんだ」
 旦那様のくぐもった声が、私の胸元で震えている。完璧な容姿と地位を持ちながら、女性運に恵まれなかった可哀想な人。そんな境遇も実は私と出会う為の布石だったんじゃないか、なんて都合の良い解釈をしたくなるのは、さすがに性悪が過ぎるだろうか。
「その気持ち、よく分かります。旦那様の隣は居心地が良くて、私がそれを享受出来るだけの資格を持っているのか、こんなに素晴らしい人の隣にはもっと素敵な女性が立つべきなんじゃないのかって、前よく考えていました」
「ぼ、僕はフィリアが良い!君以外なんて考えられない!」
「ふふっ、私もそうです」
 きっと一生、自信なんて持てない。だから努力して、悩むたびに考えて、何度も何度も隣を見上げながらはぐれてしまわないように手を繋ぐ。二人の幸せは、二人じゃなきゃ形にならないから。
「迷ったら、たくさん話しましょう。私体力には自信があるので、何時間だってお喋りできます」
「それは、頼もしいな」
「でしょう?力もありますから、旦那様が辛い時にはこの筋肉でしっかりと支えてみせます!」
 ぐぐっと二の腕に力を込めると、楽しげに彼の体が小さく揺れた。
 守りたいなんておこがましいと分かっているけれど、私を信用して体を預けてくれる旦那様が可愛くて堪らなくて、彼を傷付けるすべてをこの手で駆逐したくなる。
「僕も、君を守りたい。君を傷付けるすべてをこの手で駆逐したい」
「ど、どこかで聞いた台詞……」
 どうやら私達は、案外似たもの同士かもしれない。
「旦那様は、涙まできらきら輝いているんですね」
 目尻に溜まったそれをそっと指で拭うと、くすぐったそうにきゅっと眉根を寄せる。反応が可愛らしくて、思わずつんつんとつついてしまった。
「こら、悪戯をするな」
「あはは、ごめんなさい」
「まったく。僕は君の前では、いくらも格好がつかないな」
「私は嬉しいです。他の誰も知らない旦那様を、私だけが見られるなんて」
 普段の無表情でびしりと決めた色男も素敵だけれど、やっぱり素顔の彼が一番好きだと感じる。初心で恥ずかしがり屋で、優しくて世界一可愛い。たまに甘えてくる姿なんて、思い出しただけで鼻血が出そうになるくらいの殺傷能力を備えているのだ。
「……その顔、また変なことを考えているな?」
「私の頭の中はいつだって、旦那様でいっぱいですよ」
 へへっと笑ってみせると、彼は照れ隠しのように少しだけ唇を尖らせ、額同士をこつんとぶつけた。こうして側にいると、私にまで旦那様の甘い香りが移ってしまうのではと想像して、それって素敵だと頬が緩んだ。
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