元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
「この辺りはすべてブリオット家の領地なのですよ」
「そ、そうなのですか……!」
「昔はなにもない寂しい場所だったそうですが、ブリオット家が上手く土地活用をし、今に至るのです。現公爵の先代の先代から続く、由緒正しい家系なのですよ」
「そう、なんですね……」

 長年地下室で暮らしてきたアンジェリカは、貴族界の詳しい事情がわかっていない。
 地下室に入る前から、爪弾きにされてきたので当然だ。
 幼い頃は家族で外出することや、客人の前に出ることもあったため、貴婦人としてのマナーは学んだが。
 執事からの話を聞いたアンジェリカは、ますます疑問を膨らませ、頭を悩ませた。

「あの……どうしてそんなすごいお方のところに、私なんかが……? ミレイユなら、まだわかりますが……」
「あなたでないと意味がないのですよ」

 即答して微笑む執事に、アンジェリカは少し頬を染めて俯いた。
 大人の男性に対する免疫がなさすぎる上、この執事はなかなか端正な顔立ちをしているので無理もない。
 それよりも今重要なのは、アンジェリカの装いの方だ。
 膝に置いた手元を見たアンジェリカは、着ているドレスが視界に入った。
 そして自分の装いを今更思い出すと、居た堪れない気持ちになった。
 
「すみません、こんな装いで……化粧もろくにせず、出てきてしまって」

 そう言ってアンジェリカは、濃いピンクの布をギュッと握りしめた。
 娼館用の奇抜な衣装が、公爵家に行くのに、相応しいはずがない。

「次期当主様はあなた様の事情をご存知ですので、なにも心配はいりません」

 アンジェリカは手の力を抜くと、パッと顔を上げた。
 するとやはり、彼はにこやかに微笑んでいた。

「大丈夫です、アンジェリカ様……この先には、あなたが思っているよりずっと、優しい世界が待っておりますので」

 ――貴族の令嬢が嫁ぐ時には、みんなこんなふうに言うのかしら?
 あまりに優しい執事の台詞は、女性を安心させるためのマナーなのだろうと、アンジェリカは見当違いなことを考えていた。
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