元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
 現在のブリオット公爵にも会ったことがないアンジェリカは、容姿を想像することもできない。
 ――怖い人だったらどうしよう、なにかひどいことをされるのかしら、だけど領地は活気があったし、使用人のフリードリッヒさんも素敵だし、ここの主になる方がそんなに恐ろしいとは思えない……たぶん。
 ぐるぐるとそんなことを考えながら、アンジェリカはフリードリッヒの後をついていく。
 純白の階段を三階まで上り終えると、しばらく廊下を進み、突き当たりの角部屋に着く。
 チョコレートブラウンの大きなドアを、フリードリッヒがノックした。

「フリードリッヒでございます、アンジェリカ様をお連れしました」
「入れ」

 即座に返事が来ると、フリードリッヒは金のドアノブを持ち、姿勢を低くしてドアを開いた。
 そしてドアノブを持っていない方の手で中を示す。
 
「どうぞ、お入りください」

 フリードリッヒの後ろに待機していたアンジェリカは、ふぅーと深呼吸をしてから、再び歩き始める。
 しかし、その足取りは重く、緊張して顔も上げられなかった。
 俯いていても、前方に立派な机があるのがわかる。
 気配からして、そこにそのお方がいることも。
 だからアンジェリカは、ドアから入って正面にある、机に向かった。
 広々とした一室の、青い絨毯を見ながら、少しずつ前進する。
 やがてアンジェリカは、机からやや離れた場所で足を止めた。
 そして自分の中で心を落ち着かせてから、口を開く。

「……は、初めまして……ア、ア、アンジェリカ・ドーリー・フランチェスカでございます……こ、この度は……」

 焦りを悟られないように気をつけていたのに、思いっきり吃った上に、次の言葉が出てこない。
 こういう時はどうすればいいのか。
 頭が真っ白になったアンジェリカは、血色の悪い顔で黙り込んでしまった。

「顔を上げてください」

 そこで助け舟を出したのは、アンジェリカを呼んだ当人だった。
 ほのかに甘い、幼さの残る、大人びた少年のような声だった。
 思ったより若い声だと思いながら、アンジェリカは勇気を出して顔を上げた。
 黒のズボンと上着に、白のベスト、青い蝶ネクタイ……貴族らしい豪華な装いの次に、その人物の顔が明らかになる。
 彼の背後にある窓から射し込む光が、さらさらとした白銀色の髪を輝かせる。
 ――銀の糸……みたい。
 アンジェリカは一瞬、自分の置かれた状況を忘れ、彼に見惚れた。
 アクアマリンのような切れ長の瞳に、高い鼻と薄い唇、シャープな顎、そして抜けるような肌。
 まるで妖精のよう――。
 アンジェリカがそう思った時、彼は机を出て、アンジェリカの方に歩み寄ってきた。
 ツカツカと近づいてくる彼に、怖くなったアンジェリカは反射的に強く目を閉じた。
 もしかして、ぶたれる――?
 しかし、アンジェリカに与えられたのは、痛みではなく、熱烈な抱擁だった。
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