元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
「……信じられないわ、こんなことが本当にあるなんて」
「僕のことをそんなに鮮明に覚えていてくださったなんて、感激です」

 目を細めるクラウスに、アンジェリカはかつての記憶が蘇ってきた。
 あの薄暗い地下室で、自ら進んでアンジェリカの世話を焼いてくれた、唯一の人物。
 一緒にお菓子を食べたことや、髪を撫でたこと、交わした言葉、その大切な思い出が、アンジェリカをこの世に繋ぐ糸となった。

「当たり前でしょう、忘れるはずがないわ、私に優しくしてくれたのは、クラウス……あなただけだったんだもの」

 アンジェリカは当時を思い出し、少し涙ぐんだ。
 そんな彼女の頬の腫れに、クラウスが気づかないはずがない。

「……この頬は、連中にやられたのですね?」

 クラウスはアンジェリカの赤みを帯びた頬に手をあてた。
 アンジェリカは少し気まずそうに目を逸らす。

「クラウス様がいらっしゃった頃より、なにも変わりないご様子でした」

 無言のアンジェリカに代わり、フリードリッヒが答えた。
 フリードリッヒはクラウスからすべてを聞いているため、フランチェスカ家の様子をきちんと観察していた。
 フリードリッヒの言葉に、クラウスは険しい顔をした。
 やはりあいつらは変わらなかったのだと、今のアンジェリカの状態を見たクラウスは思った。
 アンジェリカに相応しくない派手なドレスを見れば、なにが行われようとしていたか、大体検討はつく。

「そうか……よくぞ耐えられましたね、ですがもう大丈夫です、ここにはあなたにひどい仕打ちをする者はいませんから」

 クラウスはそう言って、アンジェリカの髪を撫でた。
 まるで昔と反対ね――。
 そう思ったアンジェリカは、ふとある考えに至った。

「……もしかしてクラウス、私を助けるために、結婚という理由をつけて、連れ出してくれたの?」

 公爵家からいきなり縁談が来るなんて、おかしいと思ったが、そういうことなら説明がつく、とアンジェリカは考えた。
 しかしクラウスは頷かず、腕を組み、片手を顎に添え、考えるポーズを取った。
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