元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
 その日、アンジェリカは夢を見た。
 無機質な地下室で、ソファーに座り、立ったクラウスと向き合っていた。
 いつも通りの光景だと思っていた。
 しかし、クラウスの一言で事態は一変した。
 アンジェリカは手にしていた、大好きな本を落とした。

「クラウス……もう一度言ってちょうだい」

 アンジェリカは信じたくないあまりに、クラウスにそう言った。
 自分の聞き間違いであればいいと願った。

「僕は本日付けで、フランチェスカ家の使用人ではなくなります」

 しかし、アンジェリカの願いはあっさり打ち砕かれた。
 嘘であってほしかった、冗談だと言ってほしかった。
 だが、クラウスの真剣な表情が、事実だと物語っていた。

「なぜ……どうして、そんなに急に」

 狼狽えるアンジェリカに、クラウスは苦しげに目を細めた。

「……申し訳ありません、アンお嬢様、しかし僕は行かねばなりません、自分のために、そして、アンお嬢様のために」
「意味がわからないわ、どうしてあなたがいなくなることが、私のためになるの? クラウスがいなくなったら、私はもう……」

 アンジェリカは首を横に振り、胸の前で両手を握りしめた。
 クラウスはアンジェリカに近づくと、その手に、そっと自身のそれを重ねた。

「アンお嬢様……これは永遠の別れではありません、どうか、どうか、お元気でいてください」 

 そう言ってクラウスは、手を離すと同時に振り返り、走ってドアから出ていった。

「クラウス、待って!」

 アンジェリカは立ち上がり、右手を伸ばした。
 未練を断ち切るように、走り去ったクラウスの後ろ姿。
 これがアンジェリカにとって、クラウスの記憶の最後だった。

「クラウス――……!」

 そこでパッと意識が切り替わり、アンジェリカは目を見開いた。
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