元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
「すごいわね、クラウス……実は私、娼館に身売りする予定だったのよ」
「……やはり、そんなことだと思いましたよ、あのクズども――ンッンヴッ」

 うっかり口を滑らせたクラウスは、不自然すぎる咳払いで誤魔化した。
 クラウスは八歳まで下町で育ったため、汚い言葉も知っており、イラッとした時はつい口走ってしまうこともある。
 今なにか聞こえたかしらと、不思議そうにするアンジェリカ。
 おっとりしたところを見ると、お嬢様らしいかもしれない。
 クラウスはそんな彼女を前に、だんだん我慢ができなくなってくる。
 想像以上に綺麗になった、愛する人に両手を伸ばす。
 そして自身の腕の中に、閉じ込めるように抱きしめた。
 トクン、トクン。
 触れ合ったところから、鼓動が伝わってくる。
 ほっそりしているのに、しっかりした骨格に、広い胸、意外と強い力に、男らしさを感じた。 
 クラウスはアンジェリカを抱きしめたまま、そばにある額に口づけた。
 それに反応したアンジェリカが顔を上げると、クラウスはすかさず顔を寄せる。

「観念してください、もうあなたを鳥籠には返さない」

 身体を固定されていて動けない、いや、顔を背ければ回避できたかもしれない。
 けれど、アンジェリカはかわすことをしなかった。
 ギュッと目を閉じて、クラウスから口づけを受けた。
 ふわっと触れる、柔らかな温もり。
 初めての感覚に酔いしれる間もなく、唇は名残惜しそうに離された。

「……今はこれで我慢するので、早く慣れてくださいね、アンお嬢様?」

 わざと昔と同じ呼び方をしたクラウスは、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
 ――クラウスって、こんなに強引だったかしら……?
 アンジェリカは真っ赤になりながら、言い返せない自分を少しだけ悔しく思った。
 クラウスの十年越しの恋、十年分の思いの丈に、果たしてアンジェリカは応えることができるのだろうか。
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