元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。

1、囚われの令嬢

「うぅん……」

 狭いベッドの上で身を捩り、徐々に瞼を持ち上げる。
 アンジェリカの瞳に映るのは、あの頃と変わらない、薄暗く煤けた地下室。
 ――懐かしい夢を見たわ……。
 アンジェリカはそう思いながら、上体を起こして瞼を擦った。
 あれからどれほどの時が流れたのだろう。
 誕生日を祝われることもなく、カレンダーもないこの部屋では、時の流れを把握することは難しい。
 クラウスがいた頃は、彼が今日の日付を毎日教えてくれた。
 しかし、そのクラウスはもう、ここにはいない。
 ――元気にしているかしら、クラウス……。
 ずいぶん前に去ってしまった使用人に思いを馳せながら、アンジェリカは無機質な壁を見た。
 そこには万年筆で書かれた、短い線のような印が並んでいる。
 途中からインクではなく傷に変わっているのは、万年筆のインクを取り替えてくれる者がいなかったからだ。
 クラウスがいなくなってからというもの、アンジェリカの暮らしはさらにひどいものになった。
 クラウスが去ってから、一日二日と、しばらくは日にちを数えていたが、それもいつしか途絶えた。
 ささやかな喜びさえ奪われたアンジェリカは、ただ心臓が動いているだけの、生きた屍のようになっていた。
 だから気づかなかったのだ、まさかこの地下生活が、十年になろうとは――。
 今日もなにもできることがない。アンジェリカはベッドに座り、壁にもたれてぼんやりとする。
 時計がなく、外の様子も見えないため、今何時なのかもわからない。
 しばらく食べ物も口にしていない気がする。
 まずは主の家族が食べ、その残りを使用人たちが食べる、さらに残ったものが、アンジェリカの食事だ。
 今までは少なくても分け前があり、食事が運ばれてくる時間で、朝晩の区別がついていた。
 ついにそれすらなくなったのかと、アンジェリカはどこか遠くを眺めながら思う。
 そんな彼女に、ドアをコンコンとノックする音が届いた。
 
「……はい」

 アンジェリカの返事とほぼ同時にドアが開くと、黒いスーツ姿の執事が顔を出した。

「ご家族がお呼びです」

 驚いたアンジェリカは、穏やかな目を徐々に見開いた。
 
「皆様が大広間でお待ちです、お越しください」

 上の階に上がるなんて、一体いつぶりだろう。しかも、家族の方から誘われてなんて。
 アンジェリカは戸惑いながらも、ベッドから降りてヒールの靴を履く。
 その時、自分がネグリジェ姿だったことに気がついた。

「あの……服を着替えさせてもらえない? 久しぶりに家族に会うのだから」
「……皆様がお待ちです」

 二十代くらいの執事は、ギロリとアンジェリカを睨んで言った。
 どうやら着替える猶予はないらしい。
 アンジェリカはため息をつくと、仕方なくそのまま部屋を出ることにした。
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