元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
「次期公爵様が……そんなことを言っていいのかしら」
「公で言うべきこととそうでないことは、見極めているので心配ありませんよ、僕の評価はあなたに直結しますから……貴族や王の前では上手くやります」

 自信に満ちた表情のクラウスに、アンジェリカは言いようのない安心感を覚える。
 使用人として働いていた子供の頃も、クラウスは利口で、行動力があった。
 周りにバカにされても、嫌がらせを受けても、怯むことも悲しむこともせず、いつも背筋を伸ばして前を見ていた。
 今思えばあの瞳は、現在の状況を見据えていたのかもしれない。
 アンジェリカはそんなことを考えていた。
 そんな二人の前に、ふと、ある人物の気配が訪れる。
 アンジェリカとクラウスが立つ廊下の先、直線上に、銀色のドレスを纏った女性がいた。
 黒髪を後ろの高い位置で結い、後れ毛を垂らした彼女は、ややふくよかでヴァネッサと同年代に見えた。
 こんな豪華な装いをしてる女性は、この屋敷でアンジェリカを覗いて一人しかいない。

「マリアンヌ様、おはようございます」

 前から歩いてきたのは、クラウスの父、現公爵サウロスの正式な妻であるマリアンヌだった。
 彼女はクラウスの方を見たものの、返事はしない。
 マリアンヌと初対面したアンジェリカは、緊張しながら姿勢を正した。

「は、初めまして、マリアンヌ様、ご挨拶が遅れて申し訳ありません、私は――」
「いらないわ、挨拶なんて……」

 マリアンヌは冷たく言うと、アンジェリカから顔を背けて、螺旋階段へと進む。
 アンジェリカはドレスの裾を摘み上げると、急ぎ足でマリアンヌを追いかけた。

「あ、で、ですが、そういうわけにはまいりませんっ、ここは、あなた様が長年暮らしておられる城ですので、どうかご挨拶のお時間を……」

 マリアンヌは螺旋階段を三段ほど下りたところで、ハイヒールを履いた足を止めた。
 とりあえず待ってくれたことに一安心したアンジェリカは、階段の上で立ち止まってお辞儀をした。

「アンジェリカ・ドーリー・フランチェスカと申します、この度……」
 
 アンジェリカはマリアンヌに対して、クラウスのことを『ご子息』と言っていいのか迷った。
 ブリオット家の後継となったクラウスは、形式上はマリアンヌの息子だが、彼女が産んだわけではないのだから。

「……クラウス様の妻として、迎えられることに……」

 ご子息ではなく、クラウスの名を口にしたアンジェリカだが、ここでまた言葉に詰まった。
 果たして自分は、マリアンヌに歓迎されているのだろうか、と。
 マリアンヌはアンジェリカを見ていなかった。
 螺旋階段の先を見ていたため、アンジェリカには背中を向けたままだった。
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