元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
 肌を合わせて親密になれば、一番話が早いだろうと思ったのだ。
 かといって伯爵令嬢にそんなはしたないことを、ハッキリと催促できない。
 だから、遠回しに誘惑とも取れる状況を作るよう、お膳立てしたわけだ。
 そんなことを知らない純粋なアンジェリカは、どうしようと慌てふためいた。
 だけど相手はあのクラウスだ。それなら変に警戒することもないのではと言い聞かせる。
 相手があのクラウスだからこそ、ある意味一番危ないのだが、アンジェリカはそこまで考えていない。
 アンジェリカが一人で焦っていると、不意にドアが開く音がする。
 クラウスとアンジェリカの部屋を繋ぐ、ベッド側の壁についた出入り口。
 そこにやって来たのは、アンジェリカの待ち人だ。
 クラウスは襟のある白いシャツに、黒のゆったりとしたズボンを身をつけていた。紐で胸元の開きを調整できる、貴族紳士の寝巻きだ。
 ドアを開けたクラウスからは、すぐにアンジェリカの後ろ姿が見えた。
 ベッドに座り、純白のネグリジェに包まれた華奢な背中。
 瞬間、グワッと湧き上がる欲望を、クラウスはなんとか理性で抑え込む。
 そして一度深呼吸をすると、冷静を装ってアンジェリカに歩み寄った。

「こんばんは、アンジェリカ、誘ってくれて嬉しいです」

 クラウスが声をかけると、アンジェリカが顔を上げた。
 正面から見た彼女の姿に、クラウスの理性にヒビが入る。
 シルクでできたネグリジェは、透け感はないものの、下着に見えなくもない。
 暖色の明かりにじんわりと浮かぶ様子が、さらにアンジェリカの色香を際立てていた。

「忙しいのにごめんなさい、来てくれてありがとう」
「……いえ……」

 クラウスはアンジェリカから目を逸らすと、座る場所を探した。
 そんな彼を見たアンジェリカは、ここで言うべきことを思い出した。

「あ……どうぞ、こちらに座って」

 周りをキョロキョロするクラウスに、アンジェリカが声をかけた。
 すると彼女の方を見たクラウスが、また鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
 なぜなら、アンジェリカが示したのは、自分の隣だったからだ。

「……では、失礼します」

 クラウスは困惑しながらも、アンジェリカの隣に腰を下ろす。
 一体どういうつもりなのか、これはなにかの間違いだろうか、それとも本当に、僕に身を捧げるつもりで――?
 見た目はクールなままだが、心はかなり乱れているクラウス。
 アンジェリカに誘われた時、彼の反応が薄く見えたのは、単に驚きすぎたせいだった。
 まさか、アンジェリカから夜の誘いがあるなんて、夢でも見ているのかと……つまり、クラウスは完全に勘違いをしていた。
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