元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
「私が地下室にいた頃、何度か添い寝してくれたでしょう、眠れない時、クラウスがそばにいてくれると、すごく安心できたの、だから……ダメかしら?」

 クラウスは困り果てた。
 アンジェリカが過去の自分との思い出を、大切にしてくれているのはとても嬉しい。
 だが、触れてはいけないのに、添い寝なんて生殺しだ。
 しかし、アンジェリカに悪気がないのもわかっている。
 男性を知らないので、その苦悩など頭にないのだ。
 クラウスの葛藤をよそに、アンジェリカは上目遣いで、彼のシャツを指先で摘んだ。
 可愛すぎる眼差しと仕草に、クラウスは完全に白旗をあげた。

「…………わかりました」
「ありがとう、クラウス」

 柔らかく微笑むアンジェリカに、クラウスは頭を抱えながらも頷いた。
 アンジェリカは一旦立ち上がると、照明をさらに落とし、ベッドにのる。
 するとクラウスも彼女に従い、一緒に布団の中に収まった。
 アンジェリカとクラウスの部屋にあるベッドはダブルなので、二人で寝てもゆとりがある。
 クラウスがアンジェリカのために用意した、夫婦用のベッドなので当然だ。だからもちろん、枕も二つある。

「……ふふ、なんだか昔に戻ったみたいね」

 壁側に横たわったアンジェリカが、クラウスの方を見て言った。
 ここまでアンジェリカが安心しているのは、クラウスとの昔の思い出があるからだ。
 過去に感謝する自分と、過去から脱出したい自分。クラウスの中で二人の己がせめぎ合っていた。
 それでもアンジェリカの期待に応えるため、その手を優しく握る。
 子供の頃と同じ温もり。子供の頃とは違う手のひら。

「私、クラウスがいなくなって、本当に寂しかったの、生きているのか、死んでいるのかも、わからなくなって……だから、またこうして、手を繋いで一緒に眠れるなんて、夢のよう……」
「……辛い思いをさせました、だけどこれからはずっと一緒です、僕の方が離しませんから」

 クラウスがそう言うと、アンジェリカはとても満たされた笑みを浮かべ、瞼を閉じた。
 長いまつ毛、控えめな鼻に、艶やかな唇。ほのかな香水に混じる、アンジェリカ自身の匂い。柔らかな赤茶色の髪に、華奢で女性らしい身体のライン。
 容姿はすっかり大人なのに、心は少女のままのアンジェリカ。
 先に変わってしまったクラウスが、彼女にも変わってほしいと願うのは、罪だろうか。
 ――こんなに信頼されると、裏切るわけにはいかないな……。
 クラウスは胸の中で呟いて、アンジェリカの額にそっと口づけた。

「……アンお嬢様、早く僕を、あなただけの王子様にしてください」

 愛しい人を抱きしめながら、クラウスは天国と地獄の夜を過ごした。
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