元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
 それから数日後、クラウスとマリアンヌは、現ブリオット公爵であるサウロスと合流するため、家を出ることになった。
 まだ正式に婚約発表をしていないので、アンジェリカはブリオット家に残る。
 晴れた春の日の朝、宮殿のように立派な屋敷の玄関には、外交用の衣装を纏ったクラウスが立っていた。
 周りには見送りの使用人たちがいる。

「あなたを迎えて間もないのに、一週間も家を空けてしまってすみません」

 目の前にいるアンジェリカに、申し訳なさそうに謝るクラウス。
 アンジェリカを迎えたのが急だったので、このタイミングで家を離れなくてはならなかった。

「いいえ、大丈夫よ、気にしないで」

 ニコッと笑うアンジェリカからは、まったく寂しさが感じられない。

「なにか困ったことがあれば」
「フリードリッヒに言うわ、女性にしかわからないことはルカナやヴァネッサに相談するし」
「くれぐれも料理は気をつけて」
「ガルシアがいるから大丈夫よ、他の使用人たちもよくしてくれるし、なんの問題もないわ。それより、早く行った方がいいんじゃないかしら、マリアンヌ様もお待ちだし」

 心配性で過保護なクラウスは、アンジェリカのことが気になってなかなか家を離れられない。
 しかし、アンジェリカの方は、早く行けと言わんばかりの塩対応だ。
 アンジェリカが屋敷に馴染んできたのはいいことだ。不安な顔をされたら、クラウスも辛い。
 しかし、ちょっとくらい、離れがたくしてくれてもいいんじゃないか。
 一週間も会えないというのに、こんなに寂しいのは僕だけなのか。
 そんなことを考えたクラウスは、そばにいたフリードリッヒにこっそり尋ねる。

「……フリードリッヒ、僕はアンに嫌われているのだろうか」
「そんなことはございませんよ、あなた様の公務を邪魔しないよう、気丈に振る舞っておいでなのです。昨日、私にはクラウス様がいなくて寂しいとおっしゃっていましたから」

 嘘である。アンジェリカはクラウスがいなくて寂しいなんて、一言も言っていない。
 しかし、嘘も方便。
 次期当主が公務に集中できるよう、臨機応変に対応するのも、バトラーの大事な役目だ。
 その言葉を聞いた途端、クラウスの顔色がパッと明るくなった。

「……そ、そうか、なんて健気な、これは行ってきますのキスを」
「必要ありません、マリアンヌ様がお待ちですので速やかにご出発ください」

 満面の笑みでクラウスを催促するフリードリッヒ。
 彼からするとクラウスは息子のような年齢なので、時には本当の父親のように鋭く指摘する。
 見た目は兄弟ほどの歳の差にしか見えないが。
 しかしアンジェリカはそんな二人には見向きもせず、両手でドレスの裾を摘んで駆け出した。
 向かう先は、正面に見える大きな門の前。そこには、豪華な帽子とドレスを身につけた淑女が立っていた。
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