元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
 遠のくミレイユの足音と入れ替わるように、やって来たのは二人の若い女性だった。
 美しいドレスを着た彼女たちは、アンジェリカの姿を見つけると、急いで駆け寄った。

「だ、大丈夫でございますか!? ブリオット公爵夫人……!」
「もしかして、今の――?」

 二人は顔を見合わせると、先ほどすれ違ったミレイユが頭によぎった。
 彼女たちの声にハッとしたアンジェリカは、蹲っている場合ではないと気づき、その場に立ち上がる。
 そして、何事もなかったかのように、にこりと微笑んでみせた。

「いいえ、なんでもありませんわ、ちょっと転んでしまっただけです」

 アンジェリカはミレイユを庇ったのではない。クラウスの晴れ舞台である爵位式で、騒ぎを起こしたくなかったのだ。
 
「ですが……」
「それよりも、あなたはリビドー子爵夫人、ですよね?」

 まだ心配気な様子の婦人に、アンジェリカが話しかけた。
 クラウスに事前に聞いていた見た目から、アンジェリカはその人だと判断して言った。
 アンジェリカと初対面だったリビドー夫人は、個人として認識されていることに驚いた。

「あ、は、はい、そうですが」
「リビドー家の領地ではオレンジの栽培が盛んだと聞いています、今度ジャムを作りたいと思って……オススメのオレンジを教えてくださいませんか?」

 次期公爵夫人からのまさかの誘いに、リビドー夫人は大きく開いた目を輝かせた。

「もっ、もちろんでございます!」

 アンジェリカは優しく微笑むと、次にもう一人の婦人を見た。
 彼女のことも、事前にクラウスから聞いている。

「フィンセント男爵夫人は、花を育てるのがお上手だと聞きました、なかなか花が思うように育たなくて、なにかコツがあれば教えていただきたいわ」

 フィンセント夫人も、リビドー夫人と同様、驚きながら歓喜する。
 二人の反応は当然だ。上流貴族である公爵家の妻が、下流貴族である子爵や男爵の妻に、自ら交流を持ちかけるなど、滅多にないのだから。

「はっ、はい! よろしければ、ぜひ、今度うちに遊びにいらしてください!」
「まあ、本当? 嬉しいわ」
「わ、わたくしの方にもぜひ! ご趣味のお料理をお教えいただきたいです!」
「ありがとう、一度みんなでお茶会でもしたいわね」

 ついさっきまで妹に襲われていたとは思えない、アンジェリカの立ち振る舞いは、実に立派なものだった。
 ――しっかりしなくては……もう、私の命は、私だけのものではないのだから。
 自身を受け入れてくれたブリオット家のため、そして、公爵となったクラウスの婚約者として、惨めな姿は見せられないと、アンジェリカは思った。
 今まで孤独に苦しんできたアンジェリカは、初めて誰かのために、強くなろうとしていた。
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