早河シリーズ最終幕【人形劇】
 佐藤はひとりで酒を飲んでいる。スパイダーは彼の隣に座った。

『暗いなぁ』
『照明が?』
『違う違う。君が暗いんだよ。しけた顔してひとりで飲んで。背中に哀愁漂ってる』

 珍しくノートパソコンを持参していないスパイダーは手持ちぶさたに頬杖をつき、三浦英司の造形となっている佐藤の横顔を見ていた。

『お前にそんなこと言われるとは、俺もそろそろ歳かな』
『その言葉は益々年寄りくさいね』
『俺も37だからもういい歳だ』

佐藤は苦笑いを返して煙草を咥えた。スパイダーはウェイターを呼び、バニラアイスとコーヒーを注文する。

『キングとクイーンはどうしてる?』
『たぶん部屋だね。キングはあれで意外とパーティーが苦手な人だ。クイーンも華やかな場が好きではないから、今頃は二人仲良く部屋で寛いでいるさ』

 佐藤の煙草の煙がゆらゆら漂っている。しばらく無言を共有する二人は目の前に広がる夜景を眺めた。今夜は曇り空で月の見えない夜だ。

『姫を逃がせなかったことを後悔しているんだろ? 君はあの時、わざと姫に追い付かないペースで彼女を追っていた』
『俺の動きはカメラで見ていたスパイダーにはお見通しか。だがあそこで美月を追わない選択はなかった』
『僕も姫の居場所をキングに知らせない選択はなかった。結局、僕らはキングに逆らえない』

 スパイダーが注文したコーヒーとバニラアイスが運ばれてきた。
彼は熱いコーヒーをバニラアイスの上に注ぐ。バニラアイスとコーヒーはたちまちイタリアのデザートのアフォガードに変貌を遂げた。

冷たいバニラアイスがコーヒーの海に溺れていた。スパイダーはアフォガードをスプーンですくって口に入れる。

『パンドラの箱の中身が何か知ってる?』
『絶望と希望のことか?』
『そう。最後に残るものは絶望か希望か。どちらだろうね』

 オレンジ色の照明の下に二人の男の無言の背中が並んでいた。
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