早河シリーズ最終幕【人形劇】
 息が上がった呼吸を整えて二人はベンチに腰かけた。
マフラーの結びを直して結恵は深呼吸をする。

「昔話を聞いていただけます?」
『ええ、いくらでも』
「21年前になりますね。美月がお腹にいることがわかったばかりの頃の話です。故郷に帰省していた私は、中学の同級生だった男の子と再会しました。本当に偶然、まさか会えるとは思っていなかった彼と……会ってしまった」

彼女の言葉の端々に隠れた感情に佐藤は気付く。知らないフリを通すのが正解なのか佐藤が迷っていると、結恵が微笑した。

「お察しかもしれませんが、その人は私が中学の時に好きだった人です。恋人ではありませんでしたが初恋の人でした。でも幸せな再会ではなかったの。彼は恋人を殺して逃げている最中でした」

 甘酸っぱい恋物語かと思えば予想外の展開に佐藤は言葉もなく、結恵の話に耳を傾ける。彼女は話を続けた。

「お互いに中学の時に好き同士で両想いだったことがわかっても、私達には遅すぎた。人を殺した彼は私にこのまま二人でどこか遠くに行こうと言ったんです。私はその時にはもう結婚してお腹には美月がいた。主人のことは愛しています。だけど初恋の彼のことはいつまでもずっと好きなままでした」

コートに覆われた下腹部に結恵の両手が添えられる。21年前にそこに宿った小さな命が美月だと思うと佐藤は不思議な心地がした。

『それからどうされたんですか?』
「彼と一緒にいたいと思いました。離れたくなかった。でもお腹には美月がいる……私は美月を守りたかった。主人を裏切りたくもない。彼と一緒に逃げる選択肢は私にはなかったの」

強い意志の目が佐藤に向く。その瞳は美月と同じ、真っ直ぐで汚れのない綺麗な瞳だった。

「彼が殺してしまった恋人は妊娠していました。ただお腹の子が彼の子かはわからなくて、それが原因で彼女を……。彼は恋人を愛していました。だから浮気をした彼女を許せなかったんです」

 結恵は空を仰いで21年前の出来事を思い出した。夕焼け色に染まる海岸で打ち明けられた悲しい告白。
波の音に混ざってすすり泣くあの人の声が今も耳に残っている。

「それまで逃げていた彼が自首を決意したきっかけは私のお腹にいた美月の存在でした。彼女のお腹にいた赤ちゃんは、もしかしたら自分の子だったのかもしれない、でも誰の子どもでも関係ない、自分は二人の命を奪ってしまったんだと言って私のお腹を撫でながら彼は泣いていました」

(※短編【Dearest】より)
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