早河シリーズ最終幕【人形劇】
 21年前の出来事を語り終えた彼女はバッグから写真を取り出して佐藤に見せた。ピンク色のセーターを着た少女が笑顔でピースサインをしている。

『これは?』
「6歳の美月です。この頃からあまり変わっていないでしょう?」

期せずして6歳の美月と対面した佐藤は柔らかく微笑んだ。結恵の言う通り、この頃から美月の顔立ちは変わらない。可愛らしい笑顔も今の美月と同じだ。

『可愛いですね』
「幼稚園を卒園してすぐ、小学校の入学前に静岡の私の実家に帰った時の写真です。桜が綺麗な暖かい日だった。この日に美月は彼と会っているの」

写真に写る美月の姿を結恵の白い指が優しく撫でる。

『彼ってさっきの話の?』
「はい。私が帰省中に不思議な偶然が二度も重なって、また彼と会えた。きっとあの時には刑期を終えていたのね。私の実家近くの公園の、桜の木の下に彼がいました。3年前の事件の後に美月がよく言っていました。“桜の木の下のおじさんの夢を見た”って」

 結恵と美月に残るピンク色の優しい記憶。ひらひらひらひら桜舞う中で、幼い娘とあの人は運命的に出会った。

『桜の木の下のおじさん……その彼のことですか?』
「美月が彼に付けた名前です。もちろんあの時お腹にいた美月は彼のことは知りませんし、私も話していなかったの。あの日、偶然公園で会っただけの知らないおじさんだと美月は思っています。それまで彼のことはすっかり忘れていたあの子が、3年前に突然、桜の木の下のおじさんの事を思い出した。6歳の頃の断片的な記憶しかなくてもまだ覚えていたのね」

 結恵と佐藤はベンチを離れて坂道を行く。静かな園内に鳥のさえずりが聴こえた。

「どうして美月が3年前に、桜の木の下のおじさんの夢を見たのか不思議でした。だけどあの子が言っていたんです。桜の木の下のおじさんは哀しい目をして優しく笑う人だった……。そして佐藤さん、あなたも哀しい目をして優しく笑う人だったと。確かに彼とあなたは雰囲気が少し似ていますね」
『哀しい目をして優しく笑う人か……』

 3年前の自分は美月からそのように見えていたと知り、改めて美月の勘の良さに驚かされる。あの頃の佐藤の内に秘めていた嘆きに美月は気付いていた。

「どんな理由があっても人を殺すことはいけないことです」
『……はい』

園内の滝の前で二人は歩を止めた。滝は下の池に向けて水音を立てて流れ落ちる。

「3年前の事件の後、あなたがいなくなったことで美月は心を壊しました。食べても吐いてしまうことが多く、眠れない日も続いてやっと眠れても怖い夢を見て夜中に起きてしまう。専門用語ではASDと呼ばれる症状だったそうです」
『ASD……急性ストレス障害ですね。申し訳ありません』

何よりも守りたかった彼女の笑顔を壊してしまったことへの懺悔と後悔が佐藤に押し寄せた。

「あの頃の笑顔が消えてしまった美月を見ているのは辛かった。私や主人ではどうすることもできなくて、自分の無力さを痛感しました。娘が苦しんでいる時に親は何もしてやれない。そんな美月と私達を救ってくれたのは隼人くんでした。隼人くんが親身になって美月を支えてくれて、少しずつあの子に笑顔が戻ってきた。ホッとしました」

 木村隼人の存在は美月にとってかけがえのないものになっている。だからこそ隼人の命も守りたかった。
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