早河シリーズ最終幕【人形劇】
 貴嶋は2年前の夏も、雨に濡れた美月のためだけにこのホテルのスイートルームを数時間借りていた。レストランの個室にしても貴嶋だけが他の客よりも特別待遇を受けているように感じた。

『さっきから私の顔ばかり見ているね。私の顔に何かついてるかい?』
「このホテルの人達はキングの正体知ってるの?」
『正体……ああ、私の仕事を知っているのかってこと?』
「うん。だって、ホテルの人達みんなキングに挨拶に来るでしょ。そういうのって偉い人の扱いって言うか、VIPって言うか……」

 ガラス張りの窓のおかげで個室に閉じ込められている感覚は多少は軽減されているものの、この男との二人だけの状況は落ち着かない。

『美月の言いたいことはわかったよ。このホテルの人間は犯罪者を特別扱いしているのかってことだろう?』
「……まぁ」

そうハッキリ言われると身も蓋もない。

『私の素性をここの人間がどこまで知っているかは私も知らない。私のことはお得意様、出資者、そんなような認識だろうね』
「キングが悪いことしてるって知らないのね」
『美月の方がよく知っているかもね?』

 わざとらしくおどけて眉を上げる貴嶋を睨み付けた。すべてがこの男の思惑通り。貴嶋の手のひらの上で踊らされているようで腹が立つ。

 前菜が運ばれてきた。白い皿の上には色鮮やかな野菜や生ハムが芸術的に配置されている。あまり空腹は感じないが美月は野菜と生ハムの前菜を口に運んだ。

「キングのことだって私はよく知らない」
『少なくとも、この皿を運んできたウェイターや出迎えに出たフロントの人間よりは私が何者であるかを知っているよ』
「犯罪組織のキングだもんね」
『その犯罪組織のキングと向かい合って食事をしている女子大生が君だ』

(好きで向かい合って食事してるわけじゃないっ! そっちが脅して無理やり連れて来たんでしょ!)

 心の叫びを水を飲んで押し込めた。スープやパン、メインのパスタが運ばれてもこんなに腹が立つ状況では高級な料理を味わう余裕もない。

スマートな手つきで食事を進める貴嶋とは対照的に、作法は守りながらもやけ食いの勢いで美月は運ばれて来る料理を食した。美味しいと思ってもそれを貴嶋の前で素直に表すことも癪に障る。

 この男の狙いが読めない。目的は何?
料理を咀嚼しながら貴嶋の顔を盗み見ていると彼と目が合った。

『美月は三浦先生が嫌い?』

三浦の名が出て彼女は食事の手を止める。

「嫌い……じゃない。好きでもないけど……。ただの先生だと思ってた」
『それがまさか私の部下だったとは、そう言いたげな顔だね』
「三浦先生は何者なの?」
『私の側近。その答えでは納得できない?』

貴嶋はパスタを優雅に口に運ぶ。食事をしながらゆっくり話そうと彼が言ったことはどうやら本当らしい。
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