早河シリーズ最終幕【人形劇】
美月の柔らかな髪に触れたかった。華奢な肩を抱き寄せて、この腕の中に閉じ込めたい、唇を重ねたい、今すぐ彼女のすべてが欲しい。
抑えられない衝動を無理やり押さえつけ、彷徨う手でドアノブを掴んだ。
『朝食の時間、7時か8時かどちらがいい?』
「……8時」
『わかった。明日8時にまた来る。……おやすみ』
「おやすみなさい」
閉ざされた扉越しに二人は同時に溜息をついた。
施錠した3003号室の扉に背をつけて佐藤は美月に触れかけた右手を見下ろす。この手でこれまでどれだけの人間を殺してきたか、数え切れない。
血にまみれたこの手で美月に触れてしまえば3年前の月夜の繰り返しだ。
本音は美月に逃げて欲しかった。このままだと美月は一生の人生を貴嶋に捕らわれる。
貴嶋の美月への執着は佐藤の予想を越えていた。貴嶋は美月を永遠に手離さず、己の支配下の籠で飼い馴らすつもりだ。
貴嶋が美月を抱くのも時間の問題。もし二人がそうなった時、自分はどうすればいい?
美月が貴嶋に抱かれている場面を想像するだけで、気が狂いそうになる。
貴嶋は中東で製造された〈禁断の果実〉と呼ばれる媚薬を所持している。美月が貴嶋を拒絶してもあの媚薬を使われたら、女は嫌でも男を求めるようになる。
そうして貴嶋は佐藤の気持ちを知りながら、平然と美月を我が物にするだろう。その前に、何か手を打たなければ……。
廊下の最奥、3001号室の扉が開く音で佐藤は顔を上げた。黒いトレンチコートを羽織った寺沢莉央が部屋から出てくる。
「お姫様とのデートは終わったの?」
『デートではありませんよ』
「好き同士の人間が一緒に出掛けることをデートと呼ぶのよ?」
彼女は3003号室の前で佐藤と並び、佐藤がかけていた眼鏡に触れる。顔はファントムが造った特殊マスクで変装した三浦英司でも、瞳は佐藤瞬のもの。
莉央の細長い指が眼鏡を外した。
「デートの後なのに悲しい顔ね」
『一番嘘をつきたくない人に嘘をついていますから』
悲しく笑う佐藤の頬に莉央の手が添えられる。本物の皮膚と同じ質感の作り物の肌を莉央は優しく撫でた。
「そうね。一番大事な人だから、自分が悪者になっても嘘をつき続けて欺き通す。貴方のそういうところ、好きよ」
赤に近いピンク色に彩られた唇が微笑んでいる。外した眼鏡を佐藤に返して彼女は通路を進んだ。
眼鏡をかけた佐藤もエレベーターホールまで莉央と共に歩いた。
『今から外出ですか?』
「ええ。キングの帰りも夜中になるでしょう。私も少し出掛けてくるわ」
佐藤に向けてひらひらと手を振った莉央は下りのエレベーターの中に消えた。
抑えられない衝動を無理やり押さえつけ、彷徨う手でドアノブを掴んだ。
『朝食の時間、7時か8時かどちらがいい?』
「……8時」
『わかった。明日8時にまた来る。……おやすみ』
「おやすみなさい」
閉ざされた扉越しに二人は同時に溜息をついた。
施錠した3003号室の扉に背をつけて佐藤は美月に触れかけた右手を見下ろす。この手でこれまでどれだけの人間を殺してきたか、数え切れない。
血にまみれたこの手で美月に触れてしまえば3年前の月夜の繰り返しだ。
本音は美月に逃げて欲しかった。このままだと美月は一生の人生を貴嶋に捕らわれる。
貴嶋の美月への執着は佐藤の予想を越えていた。貴嶋は美月を永遠に手離さず、己の支配下の籠で飼い馴らすつもりだ。
貴嶋が美月を抱くのも時間の問題。もし二人がそうなった時、自分はどうすればいい?
美月が貴嶋に抱かれている場面を想像するだけで、気が狂いそうになる。
貴嶋は中東で製造された〈禁断の果実〉と呼ばれる媚薬を所持している。美月が貴嶋を拒絶してもあの媚薬を使われたら、女は嫌でも男を求めるようになる。
そうして貴嶋は佐藤の気持ちを知りながら、平然と美月を我が物にするだろう。その前に、何か手を打たなければ……。
廊下の最奥、3001号室の扉が開く音で佐藤は顔を上げた。黒いトレンチコートを羽織った寺沢莉央が部屋から出てくる。
「お姫様とのデートは終わったの?」
『デートではありませんよ』
「好き同士の人間が一緒に出掛けることをデートと呼ぶのよ?」
彼女は3003号室の前で佐藤と並び、佐藤がかけていた眼鏡に触れる。顔はファントムが造った特殊マスクで変装した三浦英司でも、瞳は佐藤瞬のもの。
莉央の細長い指が眼鏡を外した。
「デートの後なのに悲しい顔ね」
『一番嘘をつきたくない人に嘘をついていますから』
悲しく笑う佐藤の頬に莉央の手が添えられる。本物の皮膚と同じ質感の作り物の肌を莉央は優しく撫でた。
「そうね。一番大事な人だから、自分が悪者になっても嘘をつき続けて欺き通す。貴方のそういうところ、好きよ」
赤に近いピンク色に彩られた唇が微笑んでいる。外した眼鏡を佐藤に返して彼女は通路を進んだ。
眼鏡をかけた佐藤もエレベーターホールまで莉央と共に歩いた。
『今から外出ですか?』
「ええ。キングの帰りも夜中になるでしょう。私も少し出掛けてくるわ」
佐藤に向けてひらひらと手を振った莉央は下りのエレベーターの中に消えた。