早河シリーズ最終幕【人形劇】
 矢野と林田の会話を電話の向こうで聞いていた真紀は君塚家で何が起きたか悟った。

「ひとりでこんな無茶して……殺されるところだったのよ……」
『悪い。でも……真紀が来てくれるって信じてた』

血色の悪い唇で矢野は笑った。彼は胸を上下させて苦しげに呼吸している。真紀は矢野の腰のベルトを外した。

『こらこら人様の家で……朝っぱらから……。真紀って脱がせるの好きだっけ?』
「バカ! 何考えるの!」

 身体の締め付けから解放された矢野は強張っていた肩の力を抜いて真紀の膝に頬を寄せた。

『真紀の膝枕……いいもんだな……気持ちいい……』
「好きなだけいつでもしてあげるから……だからもう少し頑張って……!」

救急車のサイレンが聞こえる。真紀は上野警部の携帯に繋げて今の状況を説明した。

「……わかりました。はい、二階にいます。……もうすぐ上野警部と救急車が来るから! すぐに病院に運ぶからね」
『……真紀』

 矢野は震える手を真紀に伸ばす。血に染まる彼の手を真紀は握り締めた。

『結婚……しよう……な』

 まさかこんな瀕死の状態で真紀にプロポーズするとは思わなかった。本当は夜景の綺麗な場所で指輪も用意して、準備を整えてから言うつもりだった愛の言葉。

でも今どうしても言いたくなった。
生きて、彼女を守るために。

 真紀は強い。刑事としての彼女は強く凛々しい。
だけどその強さの鎧の内側に潜む弱さと脆さを矢野は知っている。

本当は人一倍、怖がりで泣き虫だってことも。
今も彼女はこんなに泣いている。

 真紀は涙を流して頷いた。涙でぐしゃぐしゃになった目元を拭うこともせずに彼女は矢野の手を両手で包み込む。

「うん、結婚する。一輝と結婚する。これから私の旦那になるんだからちゃんと生きててよっ!」
『……りょーかい……』

矢野がへへっと口元を緩くして笑った刹那、意識を手放した彼の瞼が下ろされた。

 担架を持った救急隊員と上野警部、早河が二階に駆け上がる。意識を失った矢野は担架に乗せられて救急車に運ばれた。

『小山は矢野についていけ。後は俺と早河に任せろ』
「はい」

上野に促されて真紀が下に降りた後、その場に残った上野と早河は君塚夫妻の死体がある寝室に入った。

『早河、大丈夫か? お前もかなり参ってるだろ』
『今は疲れよりもとにかく怒りの方が勝ってますよ』

 寝室のカーテンを引いて外を見下ろす。表に停まる救急車に真紀が乗り込む姿が見えた。
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