早河シリーズ最終幕【人形劇】
『お疲れ様。美月』

 顔を上げて愕然とする美月の目の前に貴嶋佑聖が立っている。貴嶋の隣には三浦の姿もあった。

「そんな……どうして……」
『なかなか見事な脱出劇だったよ。あそこで一階に降りずに駐車場から出るとは。考えたものだね』

 寒さに震える美月の肩に貴嶋が着ていたジャケットがかけられた。身体が震えるのは寒さのせい? ……違う。
この震えは逃げ切れなかったことへの悔しさと怒りだ。

『さぁ、帰ろう。こんなところにいては風邪を引いてしまうよ』

貴嶋が差し出した手を払い除け、美月は彼を睨み付けた。

「私はあなたの人形じゃないっ!」
『無駄だよ。どんなに抵抗しても君はすでに私の手のひらの上』

 美月の傍らに身を屈めた貴嶋は彼女の顎に手を添えて持ち上げた。寒さと怒りで震える美月の冷たい唇を貴嶋の親指がなぞる。

『永遠に私の籠に閉じ込めてその綺麗な瞳に私だけを映させる。君は私の側に居ればいい。不自由はさせないよ』
「勝手に私の人生を決めないで! あなたに囚われているこの状況が私には何よりも不自由なのよ!」

どれだけ責めの言葉を吐いても貴嶋は緩く笑うだけ。この男には敵わないと改めて思い知らされる。

『ああ……君は泣き顔も綺麗だね。そんなに泣かれると、もっと泣かせたくなってしまうなぁ』

 溢れる涙を塞《せ》き止めようとしても心に反して大粒の涙が美月の頬を流れ、貴嶋が笑いながら美月の涙を指ですくいとった。
貴嶋の後方に控える三浦は無表情に傍観しているだけだ。

「お姫様は捕まっちゃったのね」

 ドレスの上に黒いコートを羽織った莉央が現れた。彼女は手にスリッパとコートを抱えている。
莉央は貴嶋と三浦を見た後に地面にしゃがむ美月と目を合わせた。

「ごめんなさい。キングはこういう人なのよ。欲しいと思ったものはどんな手段を使っても手に入れないと気が済まない、ワガママな子どもよね」
『子どもとは言ってくれるねぇ』
「そう? キングと一緒にいるとたまに大きな子どもを相手にしている気分になるのよ」

苦笑いする貴嶋を一瞥して微笑み、莉央は美月の前にホテルのスリッパを置いた。

「せっかくの綺麗な足を傷付けてはダメよ。それと、キングのジャケットじゃ落ち着かないでしょう? 私の物だけどしばらくこれを着ていてね」

 肩に羽織っていた貴嶋のジャケットの代わりに襟と袖にファーがついたグレーのコートを着せられた。莉央に支えられて立ち上がり、用意してくれたスリッパを履く。

(三浦先生も莉央さんも結局は敵なんだ。優しくしてくれても逃がしてはくれない)

莉央が纏うローズの香りが着せられたコートからふわりと漂う。優美な彼女の香りが美月の心を複雑に掻き乱していた。
< 99 / 167 >

この作品をシェア

pagetop