早河シリーズ短編集【masquerade】
6月8日(Mon)

 南京から香港までは2時間40分の空の旅。佐藤を乗せた飛行機は午前11時に香港国際空港に到着した。
座り続けてやや凝った肩や腰を軽く手で揉みほぐして、彼は空港直結のエアポートエクスプレス乗り場に急ぐ。

エアポートエクスプレスは香港国際空港と香港市内を最速24分で結ぶ列車だ。乗車時間22分で目的地の九龍駅に着いた。

 九龍地区にはかつて城塞として存在した九龍城砦《クーロンじょうさい》があった。取り壊された城砦跡地には九龍寨城公園《Kowloon Walled City Park》が造られ、周辺はネイザンロード、男人街《ナンヤンガーイ》、女人街《ノイヤンガーイ》などの繁華街で賑わっている。
佐藤は九龍駅からタクシーでネイザンロード近くのホテルに向かった。

 中国には七大方言と言われる言語の違いがあり、佐藤が居住する南京は南京官話。官話とは要するに公用語、他にも北京官話や江淮《コウワイ》官話がある。

 上海は上海語、香港は広東《カントン》語とイギリス植民地時代の流れで英語も通じる。
香港がイギリスから返還された年は1997年7月1日。ほんの12年前まで香港はイギリス領だった。

しかしこの九龍地区だけは香港がイギリス領となった時にもイギリス統治下にはならず、中国領土のままだった。

 広東語は少し理解できる程度の佐藤はタクシーの運転手とのやりとりもホテルのチェックイン時も英語で会話を交わした。

彼は部屋に荷物を置いて早々にホテルを出た。香港滞在予定は1日。明日の夜には南京に戻る。それまでに仕事を終わらせなければ。

 中国全土を覆う低気圧の影響で香港の空は雨が降り出しそうな濁った灰色をしていた。南京も今朝は雨がぱらついていたが、高温湿潤の香港は体感的には南京よりも暑く感じる。

 佐藤の今の服装はスーツではない。昼間にスーツ姿で繁華街をうろつけば目立つ。だから彼は特別金持ちにも見えず、みすぼらしくも見えない洗いざらしの半袖シャツにジーンズ、首にはカメラをぶら下げた。

テーマは写真が趣味の日本人観光客だ。このスタイルが最も怪しまれずに行動できる。

 カメラを構えて適当に香港の風景写真を撮りながら目的地の九龍寨城公園に入った。広大な敷地の園内案内を見て待ち合わせ場所を確認する。
池や緑に溢れた公園には様々な顔ぶれの民族が写真撮影や散歩を楽しんでいた。
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