早河シリーズ短編集【masquerade】
※『“ ”』は英語
*
夕暮れ時に降り出した雨が香港の街を滲ませる。主の手を離れた傘は開いたまま地面に転がった。
極彩色のネオンで彩られたメインストリートの裏側は光の届かない闇の道。狭い路地裏で五人の男が佐藤を取り囲んでいる。
佐藤の服装は昼間に観光客を装っていたラフなスタイルとは打って変わって、闇に溶け込むダークスーツ。細かな雨粒が傘を失った佐藤の身体を濡らした。
男達の攻撃をかわした佐藤の拳が相手の腹部に命中する。背後から攻撃を仕掛けてきた男には中国武術の蹴り技を使った。
『“お前達じゃ話にならない。こちらは急ぎの用だ。リ・スンヨウを出せ”』
濡れたアスファルトに倒れた男達も早口の英語で何かまくしたてているが、彼らの言い分を聞いている暇はない。
この路地の奥にリ・スンヨウが管理する風俗店のビルがある。リ・スンヨウが今夜ここに現れることは調査済みだ。
骨組みが開いて雨に打たれる傘が、佐藤ではない別の人間の手で持ち上げられた。路地の先に向かう佐藤の前をその者が立ちはだかる。
がっしりした体格のスーツを着た中年の男だ。
『“随分と威勢のいいお客さんだな”』
広東なまりのある英語で男が香港の人間だとすぐにわかった。趣味がいいとは言えない柄物のネクタイに金色のネクタイピン。
男はサングラスをかけ、頭はスキンヘッド。いかにもそれらしい裏の人間の風貌だ。
佐藤に倒された男達が慌てて立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。少しは話が通じる格上の人間が登場したようだ。
『“リ・スンヨウに何の用だ?”』
『“早急に手を引いてもらいたい案件がある。その話し合いだ”』
『“ほぉ。……お前、日本人だな?”』
スキンヘッドの男は佐藤が放り投げた傘の持ち手をクルクル回している。傘の露先から水滴が滴り落ちた。
メインストリートの側とは思えないほど、この場所は静寂に満ちている。
『“俺が日本人なら何か問題あるか?”』
『“ははっ。面白い奴だ。ついてこい”』
踵を返した男が佐藤の傘を持って路地を進む。面食らう格下の人間を置いて佐藤も男の後に続いて路地を進んだ。
男はネオンで輝くビルの裏手で足を止める。立て付けの悪い扉を押し開けて彼は中に入った。佐藤の傘は壁際に立て掛けられてその役目を終える。
『“さっきお前に倒された奴ら、うちの中でも腕っぷしのいいのを選んだんだが見事にやられたな。どこで拳法を習った?”』
『“フウサイ先生に弟子入りした”』
『“そりゃあ強いわけだ。目下、フウサイは中国武道界最強の男だからな”』
男が呼び出したエレベーターが大きな音を立てて佐藤の目の前で口を開いた。開いたエレベーターに先に男が乗る。
『“乗れよ。リ・スンヨウの所に案内してやる”』
男の言葉を裏付けるものは何もない。本当にリ・スンヨウの居場所に案内してくれるのか、そもそも彼は何者なのか。
佐藤は無言でエレベーターに乗り込んだ。二人を乗せたエレベーターはまた大きな音を立ててその口を閉じる。
窮屈なエレベーター内で佐藤と男は一言も会話を交わさなかった。こちらも向こうも相手の気配を敏感に察知しながら沈黙を貫く。
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夕暮れ時に降り出した雨が香港の街を滲ませる。主の手を離れた傘は開いたまま地面に転がった。
極彩色のネオンで彩られたメインストリートの裏側は光の届かない闇の道。狭い路地裏で五人の男が佐藤を取り囲んでいる。
佐藤の服装は昼間に観光客を装っていたラフなスタイルとは打って変わって、闇に溶け込むダークスーツ。細かな雨粒が傘を失った佐藤の身体を濡らした。
男達の攻撃をかわした佐藤の拳が相手の腹部に命中する。背後から攻撃を仕掛けてきた男には中国武術の蹴り技を使った。
『“お前達じゃ話にならない。こちらは急ぎの用だ。リ・スンヨウを出せ”』
濡れたアスファルトに倒れた男達も早口の英語で何かまくしたてているが、彼らの言い分を聞いている暇はない。
この路地の奥にリ・スンヨウが管理する風俗店のビルがある。リ・スンヨウが今夜ここに現れることは調査済みだ。
骨組みが開いて雨に打たれる傘が、佐藤ではない別の人間の手で持ち上げられた。路地の先に向かう佐藤の前をその者が立ちはだかる。
がっしりした体格のスーツを着た中年の男だ。
『“随分と威勢のいいお客さんだな”』
広東なまりのある英語で男が香港の人間だとすぐにわかった。趣味がいいとは言えない柄物のネクタイに金色のネクタイピン。
男はサングラスをかけ、頭はスキンヘッド。いかにもそれらしい裏の人間の風貌だ。
佐藤に倒された男達が慌てて立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。少しは話が通じる格上の人間が登場したようだ。
『“リ・スンヨウに何の用だ?”』
『“早急に手を引いてもらいたい案件がある。その話し合いだ”』
『“ほぉ。……お前、日本人だな?”』
スキンヘッドの男は佐藤が放り投げた傘の持ち手をクルクル回している。傘の露先から水滴が滴り落ちた。
メインストリートの側とは思えないほど、この場所は静寂に満ちている。
『“俺が日本人なら何か問題あるか?”』
『“ははっ。面白い奴だ。ついてこい”』
踵を返した男が佐藤の傘を持って路地を進む。面食らう格下の人間を置いて佐藤も男の後に続いて路地を進んだ。
男はネオンで輝くビルの裏手で足を止める。立て付けの悪い扉を押し開けて彼は中に入った。佐藤の傘は壁際に立て掛けられてその役目を終える。
『“さっきお前に倒された奴ら、うちの中でも腕っぷしのいいのを選んだんだが見事にやられたな。どこで拳法を習った?”』
『“フウサイ先生に弟子入りした”』
『“そりゃあ強いわけだ。目下、フウサイは中国武道界最強の男だからな”』
男が呼び出したエレベーターが大きな音を立てて佐藤の目の前で口を開いた。開いたエレベーターに先に男が乗る。
『“乗れよ。リ・スンヨウの所に案内してやる”』
男の言葉を裏付けるものは何もない。本当にリ・スンヨウの居場所に案内してくれるのか、そもそも彼は何者なのか。
佐藤は無言でエレベーターに乗り込んだ。二人を乗せたエレベーターはまた大きな音を立ててその口を閉じる。
窮屈なエレベーター内で佐藤と男は一言も会話を交わさなかった。こちらも向こうも相手の気配を敏感に察知しながら沈黙を貫く。