早河シリーズ短編集【masquerade】
※『“ ”』は中国語
*
6月10日(Wed)午前1時
南京に戻った9日の夜に自宅にレイリーが訪ねてきた。正直なところ香港から帰ったばかりで疲労を感じ、ひとりで休みたかった。
しかし事前の約束もせずにレイリーが訪ねることは今までなく、思い詰めた様子の彼女を追い返せなかった。
レイリーは体調が悪いようで、食事を共にしても料理にはあまり手をつけなかった。レイリーと会うのは7日以来だが、あの日よりも顔色は悪く見えた。
隣で眠る彼女の肩に布団をかけ直してやる。今夜は珍しくレイリーが佐藤を求めることもなかった。
娼婦のレイリーとはビジネスの付き合いで関わっていたはずが、いつの間にか好意を寄せられてなつかれてしまった。
レイリーは24歳、佐藤はこの秋に37歳になる。
一回り以上も歳の離れた、国籍も違う男のどこがいいのだろう。それも堅気の人間ではなく、よりによって殺人に手を染めた男を、だ。
レイリーを愛してはやれない。彼女への愛があるかないかと聞かれたら、愛はあるがそれは男女の恋愛とは違う形の愛になる。
レイリーが薄く目を開けた。佐藤はレイリーの額に軽く口付けして微笑みかける。
彼女は片目をこすって、ベッドの中で片肘をつく佐藤を見上げた。
「“シュン……話がある”」
『“何だ?”』
「“あのね、赤ちゃん……できたかも”」
佐藤は驚かなかった。今日のレイリーの様子を見れば妊娠の兆候は予期できる。彼はレイリーの下腹部に触れた。
『“病院は?”』
「“まだ行ってない。でも多分できてる。検査薬で確かめたから。だけどシュンの子じゃないかもしれないの。他にもいっぱい相手がいるから誰の子かわからない”」
娼婦の仕事をするレイリーが関係を持つ相手は佐藤だけではない。彼女の所属する娼婦組織では、避妊具を使用しない行為は許可していない。
しかし、避妊具を使用していても万一の場合はある。現に客の子どもを妊娠する娼婦も珍しくない。
レイリーの妊娠を聞かされても心は静かで落ち着いていた。妊娠を聞かされた時、普通の男はこんなにも落ち着いていられるものなのか、自分がおかしいだけなのか、よくわからない。
『“シーシーには話した?”』
「“まだ……。どうしたらいいかわからなくてシュンのとこに来たの”」
『“シーシーには言わないとダメだ。妊娠した身体で仕事を続けていればレイリーの身体にもお腹の子にも良くない”』
妊娠の事実を上司に言う前に、まず佐藤に頼ってしまった彼女を優しく諭す。佐藤とレイリーはベッドの中で抱き合ってキスをした。
『“産むのか?”』
「“産みたい。私、家族いないからこの子が初めての家族なの”」
捨て子だったレイリーは親の顔を知らずに育った。親も兄弟もいないレイリーの、初めての血の繋がりのある家族が彼女の胎内に宿っている。
子どもの父親が誰かわからなくてもお腹の子は紛れもなくレイリーの家族だ。
『“じゃあまずは仕事を辞めて、ちゃんとした病院に行きなさい。仕事のことは俺からシーシーに話をつけておく”』
「“うん。ありがとう”」
今日初めて見たレイリーの笑顔だった。佐藤がレイリーにしてやれることは、金銭的援助と子どもを育てられる環境を整えること。
結婚もできない、愛してやれない女へのせめてもの誠意だ。
『“レイリー。俺も話がある”』
鼻先がつくほど近い距離で二人は顔を向け合った。シーツには二人分の体温が溶け込んでいる。
『“日本に帰るよ”』
「“……そっか。やっぱりそうなんだ。この前のシュンの様子でわかっちゃったよ”」
泣きそうな瞳で無理やり微笑むレイリーを腕の中に閉じ込めた。
これは終わりへのカウントダウン。もうすぐ……さよならだ。
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6月10日(Wed)午前1時
南京に戻った9日の夜に自宅にレイリーが訪ねてきた。正直なところ香港から帰ったばかりで疲労を感じ、ひとりで休みたかった。
しかし事前の約束もせずにレイリーが訪ねることは今までなく、思い詰めた様子の彼女を追い返せなかった。
レイリーは体調が悪いようで、食事を共にしても料理にはあまり手をつけなかった。レイリーと会うのは7日以来だが、あの日よりも顔色は悪く見えた。
隣で眠る彼女の肩に布団をかけ直してやる。今夜は珍しくレイリーが佐藤を求めることもなかった。
娼婦のレイリーとはビジネスの付き合いで関わっていたはずが、いつの間にか好意を寄せられてなつかれてしまった。
レイリーは24歳、佐藤はこの秋に37歳になる。
一回り以上も歳の離れた、国籍も違う男のどこがいいのだろう。それも堅気の人間ではなく、よりによって殺人に手を染めた男を、だ。
レイリーを愛してはやれない。彼女への愛があるかないかと聞かれたら、愛はあるがそれは男女の恋愛とは違う形の愛になる。
レイリーが薄く目を開けた。佐藤はレイリーの額に軽く口付けして微笑みかける。
彼女は片目をこすって、ベッドの中で片肘をつく佐藤を見上げた。
「“シュン……話がある”」
『“何だ?”』
「“あのね、赤ちゃん……できたかも”」
佐藤は驚かなかった。今日のレイリーの様子を見れば妊娠の兆候は予期できる。彼はレイリーの下腹部に触れた。
『“病院は?”』
「“まだ行ってない。でも多分できてる。検査薬で確かめたから。だけどシュンの子じゃないかもしれないの。他にもいっぱい相手がいるから誰の子かわからない”」
娼婦の仕事をするレイリーが関係を持つ相手は佐藤だけではない。彼女の所属する娼婦組織では、避妊具を使用しない行為は許可していない。
しかし、避妊具を使用していても万一の場合はある。現に客の子どもを妊娠する娼婦も珍しくない。
レイリーの妊娠を聞かされても心は静かで落ち着いていた。妊娠を聞かされた時、普通の男はこんなにも落ち着いていられるものなのか、自分がおかしいだけなのか、よくわからない。
『“シーシーには話した?”』
「“まだ……。どうしたらいいかわからなくてシュンのとこに来たの”」
『“シーシーには言わないとダメだ。妊娠した身体で仕事を続けていればレイリーの身体にもお腹の子にも良くない”』
妊娠の事実を上司に言う前に、まず佐藤に頼ってしまった彼女を優しく諭す。佐藤とレイリーはベッドの中で抱き合ってキスをした。
『“産むのか?”』
「“産みたい。私、家族いないからこの子が初めての家族なの”」
捨て子だったレイリーは親の顔を知らずに育った。親も兄弟もいないレイリーの、初めての血の繋がりのある家族が彼女の胎内に宿っている。
子どもの父親が誰かわからなくてもお腹の子は紛れもなくレイリーの家族だ。
『“じゃあまずは仕事を辞めて、ちゃんとした病院に行きなさい。仕事のことは俺からシーシーに話をつけておく”』
「“うん。ありがとう”」
今日初めて見たレイリーの笑顔だった。佐藤がレイリーにしてやれることは、金銭的援助と子どもを育てられる環境を整えること。
結婚もできない、愛してやれない女へのせめてもの誠意だ。
『“レイリー。俺も話がある”』
鼻先がつくほど近い距離で二人は顔を向け合った。シーツには二人分の体温が溶け込んでいる。
『“日本に帰るよ”』
「“……そっか。やっぱりそうなんだ。この前のシュンの様子でわかっちゃったよ”」
泣きそうな瞳で無理やり微笑むレイリーを腕の中に閉じ込めた。
これは終わりへのカウントダウン。もうすぐ……さよならだ。