早河シリーズ短編集【masquerade】
11月16日(Mon)
佐藤が三浦英司として明鏡大学に潜入して1ヶ月になる。1週間の始まりの月曜日、今日の授業も何事もなく終えた彼は、明鏡大学の図書館で残りの時を過ごしていた。
図書館二階の天文学の棚から、興味を惹かれた本を数冊引き抜いてはその場で眺める。その繰り返しをしていたところに、通路に立つ美月を発見した。
授業以外では美月と関わらないようにしていても、自分達はどこかで交わってしまう運命なのかもしれない。
『調べもの?』
「……はい」
佐藤と美月は、本棚と本棚の間の通路で背中合わせの状態になった。
「三浦先生にお尋ねしたいことがあります」
『何かな?』
「ヘシオドスの唱えたカオスとは宇宙の起源のことですよね」
館内で大きな声は出せない。小声で呟く美月の言葉には強い重みが含まれていた。
佐藤は美月の質問に戸惑いを感じたが、すぐに彼女の意図を察知した。
『ヘシオドスの神統記《しんとうき》だね。そうだよ。彼は宇宙の始まりをカオスが生じたと唱えた。カオスから大地のガイア、冥界のタルタロス、愛のエロスが生まれた。それが後々のギリシャ神話の始まりとして語り継がれていくことになる』
「すべてはカオスから始まった……と言うことですよね」
『“カオス”に興味があるのか?』
宇宙論でもない、ギリシャ神話でもない、もうひとつのカオスを美月は知っている。
憂いのある彼女の横顔に成長を感じた。確実に美月は大人に近付いている。
「もしもの話なんですけど……カオスと呼ばれる組織があったとして、その組織の人達は何を目的にしていると思いますか?」
3年前と同じ、汚れのない真っ直ぐな瞳が佐藤を見ていた。美月らしい素直な質問だと彼は思う。
『仮にその組織の人間の目的を知ったとして、君はどうする?』
「わかりません。自分がどうしたいのかも、どうすればいいのかも。でもカオスって何なのかなって……どうしてカオスなのかそれが知りたくて……すみません。先生にこんなお話しても意味がわかりませんよね」
美月はかぶりを振ってうつむいた。彼女が聞きたいことは犯罪組織カオスの目的だが、その答えを何故、“三浦英司”に求めた?
佐藤は手持ちぶさたに手に持つ本のページをめくり、まったく頭に入らない文字を目で追いかけながら口を開く。
『俺が君の質問で感じたのは……天地創造かな』
「天地創造? 創世記のですか?」
『ああ。新世界を創る……目的は大方、そんなところだろう』
天地創造計画は着実に進行している。自分が“カオス”の人間でなかったのならどう答えていただろう?
流し読みした本を棚に戻して佐藤は美月を見た。無意識に手が伸びて彼女の頭に優しく触れる。
佐藤が三浦英司として明鏡大学に潜入して1ヶ月になる。1週間の始まりの月曜日、今日の授業も何事もなく終えた彼は、明鏡大学の図書館で残りの時を過ごしていた。
図書館二階の天文学の棚から、興味を惹かれた本を数冊引き抜いてはその場で眺める。その繰り返しをしていたところに、通路に立つ美月を発見した。
授業以外では美月と関わらないようにしていても、自分達はどこかで交わってしまう運命なのかもしれない。
『調べもの?』
「……はい」
佐藤と美月は、本棚と本棚の間の通路で背中合わせの状態になった。
「三浦先生にお尋ねしたいことがあります」
『何かな?』
「ヘシオドスの唱えたカオスとは宇宙の起源のことですよね」
館内で大きな声は出せない。小声で呟く美月の言葉には強い重みが含まれていた。
佐藤は美月の質問に戸惑いを感じたが、すぐに彼女の意図を察知した。
『ヘシオドスの神統記《しんとうき》だね。そうだよ。彼は宇宙の始まりをカオスが生じたと唱えた。カオスから大地のガイア、冥界のタルタロス、愛のエロスが生まれた。それが後々のギリシャ神話の始まりとして語り継がれていくことになる』
「すべてはカオスから始まった……と言うことですよね」
『“カオス”に興味があるのか?』
宇宙論でもない、ギリシャ神話でもない、もうひとつのカオスを美月は知っている。
憂いのある彼女の横顔に成長を感じた。確実に美月は大人に近付いている。
「もしもの話なんですけど……カオスと呼ばれる組織があったとして、その組織の人達は何を目的にしていると思いますか?」
3年前と同じ、汚れのない真っ直ぐな瞳が佐藤を見ていた。美月らしい素直な質問だと彼は思う。
『仮にその組織の人間の目的を知ったとして、君はどうする?』
「わかりません。自分がどうしたいのかも、どうすればいいのかも。でもカオスって何なのかなって……どうしてカオスなのかそれが知りたくて……すみません。先生にこんなお話しても意味がわかりませんよね」
美月はかぶりを振ってうつむいた。彼女が聞きたいことは犯罪組織カオスの目的だが、その答えを何故、“三浦英司”に求めた?
佐藤は手持ちぶさたに手に持つ本のページをめくり、まったく頭に入らない文字を目で追いかけながら口を開く。
『俺が君の質問で感じたのは……天地創造かな』
「天地創造? 創世記のですか?」
『ああ。新世界を創る……目的は大方、そんなところだろう』
天地創造計画は着実に進行している。自分が“カオス”の人間でなかったのならどう答えていただろう?
流し読みした本を棚に戻して佐藤は美月を見た。無意識に手が伸びて彼女の頭に優しく触れる。