早河シリーズ短編集【masquerade】
5月29日(Tue)
定時はとうに過ぎているが、経営戦略部のフロアにはまだ明かりが灯っている。窓の向こうには夜の闇に浮かぶ東京の夜景、港区に建つJSホールディングス本社からはライトアップされた東京タワーが見えた。
「新入社員の木村くんに残業させてごめんね。はい」
控えめなベージュピンクのネイルが塗られた手が隼人のデスクにコーヒーカップを置いた。隼人はパソコンを打つ手を休めてカップの持ち手を握る。
『いただきます。でも俺で役に立ちますか? 仕事なんてまだ一人前にも出来ませんよ』
「そんなことない。充分役立ってるよ。木村くん飲み込み早くて、こう言っちゃ失礼だけど他の社員よりも使えるの」
長谷川雅は隼人の隣の椅子を引いて腰掛けた。彼女もコーヒーカップを持っている。
隼人が配属された経営戦略部は企業の要《かなめ》。複数のチームで動く経営戦略部の中で隼人が加わったチームの主任が長谷川雅。
彼女は新入社員の指導係でもあり、隼人の直属の上司だ。
その雅に隼人は新人教育と称してたびたび残業を手伝わされる。今月だけで既に六回目だ。
名目は新人教育でも、隼人以外の新入社員は雅の“時間外新人教育”を受けてはいない。今も経営戦略部のフロアには、隼人と雅だけが残っている。
確かに仕事のやり方を指導してくれるので通常業務がスムーズに行えるようにはなった。新人教育という表向きの理由は満たしている。
しかし入社2ヶ月でろくに仕事もできない新入社員をわざわざ指名して、残業を手伝わせる雅のやり方に隼人は疑念を抱いていた。
「木村くんの彼女、高校生なんだって?」
『誰から聞きました?』
隼人はオンモードの笑顔で返す。相手は上司。上手くやり過ごさなければ後々厄介な事態になりかねない。
「誰って……会社中の女子社員が噂してるよ。経営戦略部の木村隼人が女子高生と付き合ってるー! って」
『そんなに噂するほどのことですか?』
先週の食堂で馬場や高石と話していた隼人の恋人の話題が、その場にいた社員から会社中に広まったらしいとは高石から聞いている。
「木村くん格好いいもの。伝説のミスター啓徳四連覇の男が入社してくるって話題になってたの」
隼人は呆れて返す言葉もなくコーヒーをすする。雅は黒髪のショートカットから覗くピアスに触れた。派手ではないが正統派美人の彼女にはショートヘアーがよく似合う。
「入社してからの2ヶ月で受付の子や他の部署の子達からも告白されたでしょ?」
『まぁ……』
「可愛い子達だったのに彼女達が全員玉砕したってことも噂になってる。遊びも本気もまるで相手にしない、彼女一筋の木村隼人の恋人は一体どんな女なんだろう? 皆そう思っていたのよ。それがねぇ……」
切れ長の瞳が隼人を見つめる。隼人は彼女の視線に気付かないフリをして再びパソコンのキーに触れた。
定時はとうに過ぎているが、経営戦略部のフロアにはまだ明かりが灯っている。窓の向こうには夜の闇に浮かぶ東京の夜景、港区に建つJSホールディングス本社からはライトアップされた東京タワーが見えた。
「新入社員の木村くんに残業させてごめんね。はい」
控えめなベージュピンクのネイルが塗られた手が隼人のデスクにコーヒーカップを置いた。隼人はパソコンを打つ手を休めてカップの持ち手を握る。
『いただきます。でも俺で役に立ちますか? 仕事なんてまだ一人前にも出来ませんよ』
「そんなことない。充分役立ってるよ。木村くん飲み込み早くて、こう言っちゃ失礼だけど他の社員よりも使えるの」
長谷川雅は隼人の隣の椅子を引いて腰掛けた。彼女もコーヒーカップを持っている。
隼人が配属された経営戦略部は企業の要《かなめ》。複数のチームで動く経営戦略部の中で隼人が加わったチームの主任が長谷川雅。
彼女は新入社員の指導係でもあり、隼人の直属の上司だ。
その雅に隼人は新人教育と称してたびたび残業を手伝わされる。今月だけで既に六回目だ。
名目は新人教育でも、隼人以外の新入社員は雅の“時間外新人教育”を受けてはいない。今も経営戦略部のフロアには、隼人と雅だけが残っている。
確かに仕事のやり方を指導してくれるので通常業務がスムーズに行えるようにはなった。新人教育という表向きの理由は満たしている。
しかし入社2ヶ月でろくに仕事もできない新入社員をわざわざ指名して、残業を手伝わせる雅のやり方に隼人は疑念を抱いていた。
「木村くんの彼女、高校生なんだって?」
『誰から聞きました?』
隼人はオンモードの笑顔で返す。相手は上司。上手くやり過ごさなければ後々厄介な事態になりかねない。
「誰って……会社中の女子社員が噂してるよ。経営戦略部の木村隼人が女子高生と付き合ってるー! って」
『そんなに噂するほどのことですか?』
先週の食堂で馬場や高石と話していた隼人の恋人の話題が、その場にいた社員から会社中に広まったらしいとは高石から聞いている。
「木村くん格好いいもの。伝説のミスター啓徳四連覇の男が入社してくるって話題になってたの」
隼人は呆れて返す言葉もなくコーヒーをすする。雅は黒髪のショートカットから覗くピアスに触れた。派手ではないが正統派美人の彼女にはショートヘアーがよく似合う。
「入社してからの2ヶ月で受付の子や他の部署の子達からも告白されたでしょ?」
『まぁ……』
「可愛い子達だったのに彼女達が全員玉砕したってことも噂になってる。遊びも本気もまるで相手にしない、彼女一筋の木村隼人の恋人は一体どんな女なんだろう? 皆そう思っていたのよ。それがねぇ……」
切れ長の瞳が隼人を見つめる。隼人は彼女の視線に気付かないフリをして再びパソコンのキーに触れた。