早河シリーズ短編集【masquerade】
 ひとまず安心した隼人はコピーした書類をクリップでまとめる。

『どんな顔していました?』
「彼女が好きで好きで堪らないって顔。私に見せる顔とは違う、それが君の本当の顔なのね」
『皆そうだとは思いますけど、会社ではある程度は顔作ってますよね。プライベートな話ではどうしても素が出てしまいますが』

クリップでまとめた書類を雅に渡す。彼女は悔しげな表情で舌打ちして、まとめられた書類に目を通す。

「どうして遊びまくってた君が彼女一筋になったの?」
『初めて本気で好きになった女が彼女なんです。最初に出会った時は自分でもまさか女子高生に本気で惚れるとは思いませんでした』
「へぇ。そんなにいい女なんだ?」

 一通り書類に目を通した彼女はデスクに書類を置いて腕を組んだ。雅の視線にも声にも誘惑の甘さは消え失せている。

『俺にとっては世界一いい女ですね』
「バカみたいにベタ惚れね」
『よく言われます』

 自分のデスクに戻って帰り支度を始める隼人の動きを雅が目で追っている。雅の視線もお構い無しに隼人は携帯電話を取り出した。

「あーあ。君も彼女も憎らしいな。キラキラして本気の恋しちゃってますって顔して。ムカつく」
『主任ってなんか昔の俺に似てますね』

携帯には数件のメールが入っている。受信メール欄の一番上には美月の名前が表示されていた。

「何よそれ」
『昔の俺も純粋で本気の恋愛してる奴らを馬鹿にしたりムカついたりしていましたよ。自分が本気の恋愛ができないから、本気の恋愛ができる奴が羨ましくて嫉妬してたんですよね』

 美月からのメールを開くと可愛らしい絵文字で彩られたメール文が視界に飛び込んでくる。美月はリボンやハート、猫の絵文字をよく使う。

隼人もたまにノリで猫の絵文字を美月宛のメールに使用する時があり、たまにしか使わない絵文字の履歴にはいつも猫の絵文字が並んでいた。

『彼女は俺がこの子を守りたいと初めて思った子なんです。彼女が隣で笑っていると俺も元気になれる。今日学校で何があったか書いてあるメールを読むだけで嬉しくなる』
「勝手にノロケないでくれる?」
『ははっ。主任はそんな気持ちになったことありませんか?』

 美月への返信は会社を出てからにして、携帯をジャケットのポケットにしまった。話を向けられた雅はショートカットの髪を掻き上げて天井を仰ぐ。

「どうだったかな。私にもそんな時があったかもしれないけど忘れちゃった」
『田崎課長とは?』

フロアが一瞬の静けさに包まれた。雅が息を呑む気配が隼人に伝わる。

「君って変なとこ目ざといね」
『俺の他にも気付いてる人間はいると思いますよ』
「だからって入社2ヶ月で気付く? どれだけ鋭い観察眼なのかしら」

 田崎は経営戦略部の課長で既婚者だ。雅は隼人に指摘された田崎との関係を否定しない。

『俺を誘ったのも課長への当て付けでしょう?』
「さぁ? 君に興味があったのは本当よ。もう興味もないけれどね」
『それはどうも。今後も仕事でのご指導よろしくお願いします。じゃ、お先に失礼します』

隼人はにこやかに雅に一礼してフロアを去った。
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