早河シリーズ短編集【masquerade】
ひとりになった経営戦略部のフロアで雅は隼人のデスクを撫でる。
「年下のくせに生意気なのよ」
隼人の椅子に座った彼女は、学生時代に放課後の誰もいない教室で好きな男子生徒の席にこっそり座っただけで幸せだった過去を思い出した。
好きな人が隣にいるだけで幸せだったあの頃は遠い昔。大人になるほど純粋さは失われて欲張りになる。
「あの優しい顔を彼女には見せているのね」
彼女は呟いて席を立つ。こんなに清々しい敗北感は初めてだった。
翌日、水曜日。闇の気配が強まり、月の光が輝きを増す21時。
雅の部屋には嗅ぎ慣れた煙草の煙とけだるい空気が流れている。
「帰らなくていいの? この時間になるといつもはそそくさ帰るのに今日はそんなにゆっくりして。そのうち奥さんから電話くるわよ」
『あいつは婦人会の旅行で温泉に行ってる。今頃は飲んだくれて俺の愚痴でも言ってるだろう』
煙草の主は経営戦略部課長の田崎剛。雅の上司であり不倫相手だ。彼女のベッドで田崎は悠々と寛いでいる。
「でも子どもは? 奥さんが旅行なら留守番してるでしょ。心配じゃないの?」
『長男はもう中2だぞ。次男も小6、親がいなくてもあいつらはしっかりしてる。俺達がいないのをいいことに自由にやってるさ。夕飯に宅配ピザ頼むってさっき長男からメールが来てた』
「そのまま順調にしっかりした大人になってもらいたいものね。将来、あなたの子ども達が父親のように部下に手を出しまくる男にならなければいいけど」
ここには既に愛はない。彼女と彼に残されたものはくだらないプライドと惰性だけ。
ずっとそう。愛の消えた虚しい関係をだらだらとループし続けている。
『はっ。お前に言われたくないな。木村隼人は落とせたか?』
田崎の口から隼人の名を聞いて心臓が跳ねた。必死で構築したプライドを保って雅は田崎に寄り添う。彼の腕が雅の肩に回った。
もはやこの腕に包まれても、安心感やときめきなんて甘酸っぱい感情はない。
「止めた。年下は私には子どもっぽかったの」
『あんなにご執心だったのにずいぶんあっさりだな。どうせ上手くかわされたんだろ?』
田崎が雅を押し倒す。馬乗りになった田崎と舌を絡ませキスをした。
『木村の彼女一筋な噂は俺の耳にも入っている。お前でも無理だったか』
「何がそんなに可笑しいの?」
愉しそうに笑う田崎の態度が気に障る。雅の胸を弄ぶ田崎の左手薬指には冷えきった関係の妻との結婚指輪。
この指輪こそ惰性とプライドの鎖だ。
「年下のくせに生意気なのよ」
隼人の椅子に座った彼女は、学生時代に放課後の誰もいない教室で好きな男子生徒の席にこっそり座っただけで幸せだった過去を思い出した。
好きな人が隣にいるだけで幸せだったあの頃は遠い昔。大人になるほど純粋さは失われて欲張りになる。
「あの優しい顔を彼女には見せているのね」
彼女は呟いて席を立つ。こんなに清々しい敗北感は初めてだった。
翌日、水曜日。闇の気配が強まり、月の光が輝きを増す21時。
雅の部屋には嗅ぎ慣れた煙草の煙とけだるい空気が流れている。
「帰らなくていいの? この時間になるといつもはそそくさ帰るのに今日はそんなにゆっくりして。そのうち奥さんから電話くるわよ」
『あいつは婦人会の旅行で温泉に行ってる。今頃は飲んだくれて俺の愚痴でも言ってるだろう』
煙草の主は経営戦略部課長の田崎剛。雅の上司であり不倫相手だ。彼女のベッドで田崎は悠々と寛いでいる。
「でも子どもは? 奥さんが旅行なら留守番してるでしょ。心配じゃないの?」
『長男はもう中2だぞ。次男も小6、親がいなくてもあいつらはしっかりしてる。俺達がいないのをいいことに自由にやってるさ。夕飯に宅配ピザ頼むってさっき長男からメールが来てた』
「そのまま順調にしっかりした大人になってもらいたいものね。将来、あなたの子ども達が父親のように部下に手を出しまくる男にならなければいいけど」
ここには既に愛はない。彼女と彼に残されたものはくだらないプライドと惰性だけ。
ずっとそう。愛の消えた虚しい関係をだらだらとループし続けている。
『はっ。お前に言われたくないな。木村隼人は落とせたか?』
田崎の口から隼人の名を聞いて心臓が跳ねた。必死で構築したプライドを保って雅は田崎に寄り添う。彼の腕が雅の肩に回った。
もはやこの腕に包まれても、安心感やときめきなんて甘酸っぱい感情はない。
「止めた。年下は私には子どもっぽかったの」
『あんなにご執心だったのにずいぶんあっさりだな。どうせ上手くかわされたんだろ?』
田崎が雅を押し倒す。馬乗りになった田崎と舌を絡ませキスをした。
『木村の彼女一筋な噂は俺の耳にも入っている。お前でも無理だったか』
「何がそんなに可笑しいの?」
愉しそうに笑う田崎の態度が気に障る。雅の胸を弄ぶ田崎の左手薬指には冷えきった関係の妻との結婚指輪。
この指輪こそ惰性とプライドの鎖だ。