早河シリーズ短編集【masquerade】
『木村隼人は面白い男だ。元々の性格なんだろうが、妙に達観している。いずれは会社の中枢を担う存在になるぞ』

 滅多に人を褒めない田崎が、たかだか入社2ヶ月の隼人の能力を高く評価していることが意外だった。だが田崎が隼人を見込む理由もわかる。

木村隼人には上に立つ資質がある。10年後には管理職クラスに上り詰めているかもしれない。

『木村については、奴の出身大学の啓徳大関係者から興味深い話を聞いた。去年の夏に木村は殺人事件に巻き込まれて後輩を殺されているらしい。場所は静岡だったか……サークル合宿の最中だったそうだ』

 その発言に似合わぬ手つきで田崎は雅の胸元や下半身を撫で回す。彼に無理やり開かされた両脚の間は先ほどの情事の名残を残していて、田崎の指の動きに敏感に反応を見せた。

 身体は田崎の愛撫に反応していても雅の頭は別のことを考えていた。たった今、彼の口からもたらされた情報は彼女の予想を越えていた。

推理小説や刑事ドラマに関心のない雅には、殺人事件などニュースで聞くだけの単語。そんなものとは無縁の自分には想像し難い。

『その時の事件現場で今の彼女と出会ったようだ。そこで何があったかは詳しくは知らないが、木村が彼女をよほど大事にしていることを考えると……まぁ中年親父の好奇心で色々と想像はできるな』
「そうだったのね……だから……」

 これは田崎にではなく、自分に向けた独り言。
彼女のことを初めて守りたいと思った女だと隼人は言った。おそらく事件の渦中で彼女に何かがあったのだ。

最初から敵うはずない。誰も木村隼人の恋人には勝てない。彼が守りたいと思う女はこの世にひとりだけ。

 田崎にキスをされても考えるのは隼人のこと。愛する女を守る彼の姿にきっと惹かれていた。

愛撫が激しくなり、雅は身体を仰け反らせて絶頂に達した演技をする。それもだんだん面倒になってきた彼女は、月明かりに照らされた天井を見つめて小さく溜息をついた。

 木村隼人に求めたもの、木村隼人に感じたものは田崎との間に存在しない。とうに捨て去り、忘れていた甘酸っぱい感情はもうここにはない。
あるのはベッドの上での一時の交わりだけ。

『木村隼人のどこがよかった? 顔か?』
「顔以外に木村隼人に魅力的なものがある?」

 自己のプライドを守るために雅はまたひとつ嘘を重ねる。だけどそろそろ終わらせよう。
惰性だけの愛のない関係もプライドの仮面で塗り固めた自分も。

虚しくなるだけだから。

 田崎が己を雅に侵入させようと動いた。彼女は田崎の身体を押しやって侵入を拒み、快楽に疼く下半身を閉じた。

行為を途中で妨げられて不満げな顔の田崎を一瞥する雅は、笑っていた。さっきあれほど交わったのに田崎の分身は今も立派な姿形をしていて、表情とのミスマッチが滑稽だった。

 会社では部下に偉そうに指図しているこの男も、女の身体を前にすれば全裸の雄だ。
男という生き物は本当にどうしようもない。

「私達、別れましょう」

 これが彼女の最後のプライドだ。
< 142 / 272 >

この作品をシェア

pagetop