早河シリーズ短編集【masquerade】
 あれは失恋した女の目、ダイキに裏切られた時の泉と今の鈴華は同じ目をしていた。

「もうどうでもよくなって、写真は消しました。写真のデータは渡辺先生が消したので心配なら先生に確認とってください」
「そっか。ありがとうね」
「お礼を言われる筋合いはありません。ただの八つ当たりです」

ふて腐れてそっぽを向く鈴華はやはりご機嫌ななめの猫だ。

「最後に余計なことですが、上に乗った時の動きは腰だけを前後に揺らすんですよ。あと小野田さんの過去の元カレ二人って、単にリード不足でセックスが下手くそだっただけじゃないでしょうか。本当に上手い人となら気持ちよくて自然と声も出ちゃって、マグロになんてなっていられませんよ。じゃ、修論がんばってくださいね。失礼しまーす」

 鈴華は再びフリーズした泉を置いて廊下を立ち去った。
そのまま情報工学科の研究棟に入る。研究棟の入り口では白井直澄が煙草を吸っていた。

「なんでこんな所にいるの?」
『煙草吸いたくなったから。院生室じゃ吸えないしね』

白井は入り口に設置された灰皿に煙草の灰を落とす。首席のミスター星城は何をしても絵になる男だ。

『どうだった? 小野田泉』
「顔とスタイルはまぁまぁ。毛玉つきのニットが惜しいのと、傷んだ毛先を切れば見栄えはよくなるから総合的に70点」
『常に100点を目指す女の評価は厳しいな』

 失笑する白井の隣に鈴華は並ぶ。
この性格と男受けを狙った外見が相まって、鈴華には女友達が少ない。同性から疎まれている鈴華を白井はいつも輪の中に引き込んで気にかけてくれた。

「だけど負けました。惨敗」
『そう』
「私がどれだけ可愛くなるために努力しても、きっと毛玉つきのニットを着てる小野田さんには勝てないと思うと、悔しいを通り越してなんか笑えてきちゃった」

笑っているのに泣いている。泣き笑いする鈴華の目に浮かぶ涙が太陽の光でキラリと光った。

 渡辺亮もそうだった。研究チームに馴染めない鈴華を渡辺も気にかけてくれた。
それがポストドクターとしてだけの感情だったとしても鈴華は嬉しかった。
だから渡辺に恋をして振られても、後悔はない。

『失恋の傷を早く治す最良の薬が何か知ってる?』

白井の手が鈴華のふわふわの茶髪を撫でる。彼女は白井の脇の下に潜り込んだ。

「新しい恋?」
『大正解。俺と新しい恋してみる気、ある?』

ずっと追いかけていた渡辺の広い背中には手が届かなかった。鈴華が伸ばした手を離さないでいてくれたのは、いつも側にいてくれた白井のぬくもりだった。

「白井先輩って、女に振り回されたいタイプなんですね」
『どうかな。俺は振り回す方も好きだけどね』
「いいんですか? 振り回しますよ?」
『どうぞ。俺も振り回すからおあいこだ』

白井の隣で鈴華は頬を染めた。

 失恋した心の痛みも熱いぬくもりに溶けてなくなってしまえばいい。もしかしたらこれが彼女が本当に欲しかったものかもしれないと、ようやく気付けた睦月の晴れの日だった。
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