早河シリーズ短編集【masquerade】
 広間に面したウッドデッキで美月と妹がシャボン玉を吹いて遊んでいる。広間の窓際に立つ私は、彼女達が作り出したシャボン玉がふわふわゆらゆら、宙に舞う様をぼうっと眺めていた。

私に気付いた美月が笑顔で駆け寄ってきた。

「お姉ちゃんもシャボン玉やる?」

 彼女は未使用のシャボン玉の吹き具を差し出した。きらきらの瞳が微笑んでいる。
この子の笑顔は例えるなら月光のように人を優しく包み込む。美月……その名前がよく似合う、可愛い少女だった。

「お姉ちゃんのお名前は?」
「……あかり」

間宮に囁かれるこんな名前、いらない。私はカナリー。私は歌を忘れたカナリア。

「あかりちゃんね! ぽかぽかする名前だ!」
「……ぽかぽか?」
「あったかい感じ。太陽や電気も“灯り”って言うから、皆を明るく照らすみたいな、ぽかぽかする名前だよね」

 12歳の女の子らしい単純明快な発想が私の心を救ったなんて、この少女は知らない。
嫌いな名前が少しだけ好きになれた瞬間だった。

 美月との出会いから3年後、私は啓徳《けいとく》大学に進学した。

 大学ではミステリー研究会への入会を決めた。
中学時代から読み漁っていた推理小説は、いつか間宮を殺すためにと知識を蓄える目的で読んでいたのだが、この際もっと幅を広げて推理小説とやらを研究してみるのも悪くないと思ったのが入会の動機だ。

 ミステリー研究会は一筋縄ではいかない曲者揃いだった。特に私が入会した頃から研究会の中枢に居座っていた男が1年先輩の木村隼人。
木村隼人はまだ2年生ながら、雄弁な物言いで先輩達を圧倒していた。

 木村隼人の隣にいつもいるのが彼の幼なじみの渡辺亮。

最初のきっかけは、些細なことだったと思う。会報誌に乗せるために私が書いた短編のミステリーを渡辺は面白いと言って褒めてくれた。
ただそれだけなのにそんなことが嬉しくて、気付いた時には渡辺亮に恋をしていた。

だけど渡辺亮には想い人がいた。

同じミステリー研究会所属の加藤麻衣子。私が慕う麻衣子先輩は、木村隼人と渡辺亮の幼なじみだ。
この幼なじみ三人組には他者が入り込めない絆のような、切っても切れない繋がりがあった。

 大学3年生に進級した春に渡辺亮に告白をしたが、彼への告白を決めた出来事がある。
夏期休暇にミステリー研究会の合宿で間宮と推理討論会を行う計画がその頃から持ち上がっていた。

推理討論会のバックアップで間宮が懇意にする並木出版が関わると知った私は機は熟したと確信した。
並木出版には“彼”がいる。並木出版編集者の佐藤瞬。

 佐藤は私の正体を知らないけれど、私は佐藤がカオスの一員であると知っていた。推理討論会で佐藤が何を企てようとしているのかもキングに聞いていた。

私は推理討論会の最中に折りを見て間宮を殺そうと思っていた。間宮を殺して過去を清算し、アメリカに帰る。
渡辺への告白は日本に未練を残さないためのケジメだったのに、予想外にも彼との交際が始まって拍子抜けした。

 推理討論会の開催場所は美月の叔父が経営する静岡の例のペンション。美月と出会った思い出の場所が殺人事件の舞台となるのには、少しの躊躇いがあった。

高校生になった美月は叔父の手伝いでペンションに来ている。殺人事件に美月を巻き込みたくはなかったが、計画は止められない。
佐藤の殺人計画も私の殺人計画も、誰にも止められない。

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