早河シリーズ短編集【masquerade】
『聞きたいことがあるんだけど』
「何ですか?」
『ハヤカワって誰?』

 加納の口から早河の名前を聞いた有紗は驚愕した。

「なんで早河さんの事……」
『店であんたが倒れた時、うなされながらその名前呼んでた。“ハヤカワさん助けて”って』

恥ずかしくて堪らなかった。穴があったら入りたいとはこのことだ。あわてふためく有紗を加納が無表情に見つめている。

『彼氏じゃないよな? 彼氏なら苗字で呼ばないだろ』
「彼氏ではないです。早河さんはその……好きな人です。振られましたけど……」

 加納達の後ろを歩いていたカップルが笑いながら通り過ぎた。有紗は運河を囲む柵に手をかけ、加納は彼女の横に並び柵に背中をつけた。

『振られたのにそいつの名前呼ぶってことはまだ好きなのか?』
「それはちょっと違います。失恋したばかりで吹っ切れてはいませんが、早河さんは探偵さんで、私のヒーローなんです。去年は私もあの美咲と同じような感じでした。髪を茶髪にして家出して学校サボって……。家出した私を見つけてくれと父が依頼した探偵さんが早河さんです。私が家出した時もその後で学校サボった時も早河さんが捜しに来てくれました」

横目で加納の反応を窺う。彼は馬鹿にすることも茶化すこともせずに黙って有紗の話に耳を傾けていた。
ここまで話をしたんだ。すべて話してしまおうと思った。

「去年の冬に起きた聖蘭学園の生徒が殺された連続殺人事件は知っていますか?」
『知ってる。ニュースでだいぶ騒いでたし、犯人は聖蘭学園の教師だろ。この間脱獄した……』

 その先を語るのは躊躇いが生じる。本当は口にもしたくなかった。恋愛のドキドキとは違う意味で心臓の動きが速くなっていた。

「犯人は私の担任で、私はその時まで知らなかったんですけど私の本当の父親の弟……実の叔父でした」
『あのケバい女がそう言ってたな。って言うか本当の父親ってことは、今のあんたの父親は義理?』
「そうです。そのことも去年まで知らなくて……。実の父は私が生まれる前に死んだんです。そして母は……叔父に殺されていました。叔父と母は幼なじみで、叔父は母のことがずっと好きだったんです」

加納は何も言わない。当然の反応だろう。いきなりこんな話をされてすぐにリアクションをとれる人間はいない。
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