早河シリーズ短編集【masquerade】
 よもや行き付けのカフェの店員にこんな話をするとは思わなかったが、すべてを話してしまうと呆気ないものだ。

「早河さんのことを話し始めたら、こんなことまで話しちゃいました。暗い話でごめんなさい」
『謝らなくていい。何かあるとは思ってたけど……』
「引きました?」
『あのケバい女の話もあったしな。それなりの想像はしてたから引かねぇよ。まさかここまでとは思わなかったけどな。あんた明るいしいつも元気だし……はぁ……』

身体の向きを変えて柵に腕を乗せた加納は両腕に顔を伏せて黙り込んだ。

「あの……」
『……今年の夏からよくうちの店に来る女がいつもキャラメルマキアート頼むんだよ。夏も秋も冬も飽きずにキャラメルマキアートを旨そうに飲むその子のことを、俺はいつの間にか気にするようになった。バイトしていても今日はあの子来るのか期待して、来ないと寂しくて』
「あ、あの! それって私のこと……?」
『他に誰がいるんだよ』

 むすっとした表情をする彼を見て、有紗は苦笑いを溢す。頭が混乱していて状況整理が追い付かない。

「だって私がお店に来るのを期待していてくれるなら加納さんの私に対する態度は酷すぎません? 私にだけ無愛想で口悪いし、それが好きな女の子への態度ですかっ?」
『仕方ないだろ。あんたを目の前にすると上手く話せなくなるんだよ』

加納はふて腐れてそっぽを向いた。無愛想な彼が見せる表情の変化は珍しいものを見ているみたいだった。

『あんたとハヤカワって男との関係性はわかった。失恋してもそいつがその辺の男とは違う存在だってことも承知した。それを踏まえて言うけど……俺は夏からずっとあんたを見てきた。あんたのことが好きなんだ』

 初めて言われた“好き”の二文字に心が痛くて苦しくなる。

「だけど私の事情、話しましたよね。叔父が殺人犯で……」
『それがどうした? あんたが犯罪やらかしたんじゃねぇし関係ない。あんたが責められることは何もないだろ。もしそのことでこれからもあんたを中傷する奴がいたら俺に言え。そいつボコボコにしてやる』
「ボコボコって……もう。変な人ですね……」

涙が滲む目元を見られたくなくて彼に背を向けた。背を向けていてもわかる、加納の熱い視線がくすぐったい。

「今はまだ早河さんのこと完全に吹っ切れていません。そんな簡単に次の恋に行けるほど軽い気持ちじゃなかったから。でももう少し……待っていて欲しいです」
『ああ、待つ。どれだけでも待つ。俺は有紗のこと好きだから』

名前で呼ばれて心に甘い痛みが走った。この痛みの名前を有紗は知っている。

(いきなり名前呼び捨てはズルいなぁ。きゅんとしちゃうじゃない)

 今はまだ次の一歩は踏み出せない。だけどもう少し、あと少しで踏み出せそうな気がする。
あともう少し……待っていて。
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