早河シリーズ短編集【masquerade】
「そうだ蓮! そろそろアレやってよ」
『おお、そうだな』

 玲夏がなぎさや矢野のいじりから話をそらして蓮を促す。立ち上がった蓮が壁に立て掛けてあるギターを手に取った。
事務所に入った時からなぎさはそのギターの存在がずっと気になっていた。

『それでは皆さん、今から超人気俳優、一ノ瀬蓮さんによる弾き語りのお時間でーす! 俳優としては有名な蓮さんのここでしか聴けない弾き語りとスペシャルな生歌をお楽しみ下さい』

 司会進行役の矢野がマイクを握って蓮の紹介をすると拍手が起きる。蓮はソファーに座ってギターを抱えた。
俳優は何をしても様になるが、ギターを抱えた蓮はまるで本物のギタリストのようだ。

 数秒の静寂は開幕の合図。蓮の指が弦の上を滑らかに動いて音が奏でられると、イントロからそれが有名なクリスマスソングだと誰もがわかった。

英語の歌詞を蓮が伸びやかに歌い上げる。俳優としての一ノ瀬蓮しか知らない早河達にとって初めて聴く蓮の歌声。

しっとりとしたギターの余韻を残して歌が終わる。ここが事務所ではなくコンサートホールだと錯覚してしまうほど蓮の作り上げた世界に皆が浸っていた。

「凄い……一ノ瀬さんギターも弾けて歌もとっても上手……」
『ああ。これは凄いな……』

 なぎさも早河も蓮に惜しみ無い拍手を送る。一曲弾き終えた蓮に玲夏が水の入るグラスを渡した。蓮の歌唱力に驚かないのは玲夏だけだ。

「昔は歌手デビューの話もあったのよ」
『すぐに断ったんだけどな』
「歌手デビュー断っちゃったんですか? こんなに上手いのに」

真紀に尋ねられた蓮は抱えているギターを愛しげに撫でて答える。

『俺は歌手じゃなくて俳優がやりたかったし、もし俺が歌をやったとしてもいつかアイツらに越されるってわかってたから』
「アイツらって?」

今度はなぎさが聞いた。蓮はニッと口元を上げて含み笑いをする。
さすがは十代から芸能界を牽引する実力派俳優、どんな瞬間も写真集や映画のワンカット並だ。

『真紀ちゃんとなぎさちゃんも知ってる奴ら。もちろん早河さんもね。UN-SWAYED《アンスウェイド》のことだよ』

 真紀となぎさは同時に声を上げた。UN-SWAYEDは昨年デビューしてミリオンヒットを連発中の四人組ロックバンド。

彼らは今週末の25日と26日に日本武道館で初めてのライブを予定している。
(【Quintet】参照)

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