早河シリーズ短編集【masquerade】
 サユリは46歳、矢野は28歳。母と息子とも思えるし、年の離れた姉と弟にも思える二人の関係は深く考えなくとも奇妙な関係だ。

『そう言えばサユリと初めて会ったのは俺が16の時だっけ』
「あなたが武田の家にいた時ね。仁とあなたが顔を合わせた時期と同じ。懐かしいわね」

サユリは早河を普段はファーストネームで呼ぶ。早河の来店時は立場や便宜上で彼の苗字を呼ぶが、サユリと早河も元々はクラブのママと客の間柄ではない。

『なんで俺をこの世界に引き込んだ?』
「仁とあなたを組ませてみたかったから。後悔してるの?」
『後悔はしてねぇけど……』

 この世界に足を踏み入れたことを後悔はしていない。後悔はしていないが……。

「一輝」

サユリの品と力強さのある声で名を呼ばれた。母親でも姉でもない、妙な関係の不思議な女がこの声色を出す時は心の中を見透かされている気がする。

「あなたをこの世界に引き込んだのは私よ。だからこそ言うわね。もしも迷いが生じているのなら、この辺りで足を洗いなさい。生半可な覚悟で続けていられる仕事じゃない。下手をすればそのうち死ぬわよ」

 死ぬ、その単語を今夜だけで二度聞いた。今日は物騒な言葉が飛び交う夜だ。

『わかってる』

 矢野はサユリを一瞥して腰を上げた。彼女もそれ以上は何も言わずに見送りにミレイをつけさせて、自分は他のテーブルに行ってしまった。

結局のところ、サユリは矢野に苦言を呈する目的で呼び出したらしい。ミレイが矢野の顔を覗き込んだ。

「矢野さん顔色悪いけど平気?」
『平気平気。ここに来る前にかなり飲んでたから、ただの酔っぱらいだよ』

 ミレイに見送られて店を出た。これからどうしようか……またあのカジノバーに戻るのは気が進まない。

 高木からメールが入っていた。カジノバーにいた黒人男の正体はアメリカ国籍の武器商人。
三浦英司の名前は武器密売の際に何度か耳にし、海外の武器商人の間ではエイジミウラを探ることは死を意味すると噂が回っているとか。

どこまで事実を語っているかは不明だが大筋はそういうことなのだろう。

(生半可な覚悟じゃ続けられない……か)

 大通りで捕まえたタクシーが走り出す。
彼は車内で携帯電話の画像データを表示した。

去年のクリスマス前に早河達と行ったクリスマスパーティーの写真が何枚が出てくる。
照れながらサンタの帽子を被って友人と笑顔で写る恋人の写真を見ていると、心が穏やかになる反面、暗愁に苛《さいな》まれる。

 どうしたらいいのか。どうしたいのか。
守るものと守りたいもの……。

タクシーの座席に深く座って目を閉じた。そのまま眠ってしまいたいほど今の彼は疲れていた。
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