早河シリーズ短編集【masquerade】
 500円硬貨を出してお釣りを待つ間、男を観察した。彼は有紗以外の客や従業員同士の会話では表情が柔らかく笑顔も見せる。

(どうして私にだけそんなに態度が悪いのよ。私この人に何もしてないよ?)

『土曜に来るのは珍しいな』
「えっ……」

 トレーに置かれた釣り銭に手を伸ばした有紗は戸惑った。注文以外で男に話しかけられたのは初めてだ。

『いつもは平日に来るだろ』
「まぁ……今日はなんとなく」

客の顔なんて覚えていないと思っていたからか、男が有紗を覚えていることが意外だった。

『学校大丈夫だったのか? あんた聖蘭学園だろ。あんたの学校で脱獄犯が暴れたってニュースで見た』
「あー……まぁ……大変でしたね」

 思い出したくない記憶が甦り顔がひきつる。世間話には重たい話題だ。有紗の表情の変化に気付いたらしい男は再び無言に戻って、次の客の対応に移った。

 レジカウンターから少し離れた場所でキャラメルマキアートが出来るのを待っていると、有紗の前に注文していた二人組の女性客のひそひそ話が聞こえてきた。

「あの店員さん格好いいよね。何歳かな?」
「大学生っぽいよね。20歳くらい?」

直感的にあの男のことだと察する。女性客は注文の品を受け取ってもすぐには席に向かわずに、例の店員に視線を送っていた。

ひそひそ話をして男性店員に色目を使う女性二人組にも、自分にだけ愛想のない男にも、無性に苛ついた。今日は虫の居所が悪い日だ。

『Sサイズホットキャラメルマキアートのお客様ー』

 陽気な声が店内に響いてハッとした。あの店員とは正反対の色黒のサーファー風の男性店員からキャラメルマキアートを受け取った。サーファー風の店員は愛想がいいところまであの男とは真逆だ。

有紗は窓に面したカウンター席に座った。他の席はどこも埋まっていたが、カウンター席は比較的空いている。隣の人間との間隔も椅子三つ分は空いていた。

 キャラメルマキアートをひとくち飲む。苦味の中にある優しい甘さにホッとした。ここのキャラメルマキアートが一番美味しい。

(そういえばEdenはどうなっちゃうんだろう)

 四谷《よつや》の早河探偵事務所の近くにある珈琲専門店Edenのキャラメルマキアートも美味しくて好きだった。秋頃までは早河の事務所に寄る時は必ずEdenにも訪れていた。

しかし11月頃に早河からEdenには行くなと注意を受けた。Edenは犯罪組織カオスの人間が経営に関わっていたようだ。
早河の言いつけを守って、Edenには先月から行っていない。

(カオスが潰されたんだからEdenもなくなるのかな。それは寂しい気もするけど、でも犯罪者が淹れたコーヒーを飲んでいたかもって思うとちょっと怖い)

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