早河シリーズ短編集【masquerade】
3月18日(Thu)
『不健康な面してるな』
早河探偵事務所を訪れて開口一番に早河仁から言われたセリフがこれだ。矢野は定位置としているソファーに寝そべった。
『不健康生活まっしぐらの早河さんに言われたくなーい』
『メルシー行ってたんだろ?』
矢野の頬によく冷えた栄養ドリンクの瓶が触れる。瓶を手にした早河がこちらを見下ろしていた。矢野は瓶を受け取って上半身を起こす。
『情報源はミレイ? サユリ?』
『ミレイ。お前が店に来たけど様子が何か変だったって心配してた』
デスクに戻った早河はパソコンに視線を向けた。矢野は栄養ドリンクの蓋を開けて中身を喉に流し込み、苦笑いする。
『あーあ。ミレイちゃんは人のことよく見てるからなぁ。やっぱりそのうちどっかの店のママにでもなってそう』
独り言同然に呟いて矢野は事務所を見渡した。今日はなぎさの姿がない。
早河達の日程が書かれたホワイトボードを見ると、今日のなぎさはライターの仕事で打ち合わせに出掛けていることがわかる。その隣のカレンダーの明日の日付の欄には赤ペンで式準備の文字があった。
『結婚式の準備進んでる?』
『ボチボチ。なぎさに任せっきりで申し訳ないけど俺の方は招待客少ないしな』
早河となぎさの結婚式は3ヶ月後の6月。結婚式が6月の理由はなぎさの誕生月であり、彼女がジューンブライドに憧れていたからだ。
『早河さんは、なぎさちゃんと結婚した時に探偵辞めようと思った?』
『……は?』
パソコンを操作していた早河は脈絡のない質問に顔をしかめた。矢野は空にした栄養ドリンクの瓶をテーブルに置いて、またソファーに寝そべる。
『カオスはぶっ潰したし、貴嶋も刑務所暮らしだ。早河さんの探偵としての当初の目的は達成したじゃん?』
『そうだな』
『だから、なぎさちゃんと結婚して探偵辞めて、もっとまっとうな仕事しようって考えたりした?』
ソファーに寝そべる矢野は早河と目を合わせない。早河はキーを打ちながら彼の質問に返答した。
『まっとうな仕事って例えば?』
『えーっと……サラリーマンとか?』
『俺の柄じゃねぇよ』
『ははっ。確かに。早河さんがサラリーマンは……ねぇよなぁ』
大きな溜息の後に矢野は額に腕を添えて明るい天井を見つめた。ブラインドが半分開けられた今は春を予感させる日差しが室内に差し込んでいる。
『情報屋、辞めるのか?』
『そうした方がいいのか考えてるとこ。真紀のお母さんと妹さんに挨拶に行った話はしたっけ?』
『挨拶に行くとは聞いたがその後は聞いてない』
静かな室内には早河がパソコンのキーを打つ音だけが響く。なぎさがいないだけでこの事務所はとても静かだ。
『今月の初めに真紀の実家に行ったんだ。結婚を前提としたお付き合いをしてますって挨拶程度だったんだけど……。挨拶に行く前に真紀が俺の職業をお母さんにどう説明すればいいか俺に聞いてきたんだ』
『情報屋とは言えないな』
『俺も自分の仕事の胡散臭さは重々承知してるからさ、そりゃそうだよなって。ヤバい人間と思われるのも嫌だし、伯父の事務所の事務員ってことで口裏合わせようってことにしたわけ』
テーブルの上のガラスの器の中にはみかんが積まれている。
『不健康な面してるな』
早河探偵事務所を訪れて開口一番に早河仁から言われたセリフがこれだ。矢野は定位置としているソファーに寝そべった。
『不健康生活まっしぐらの早河さんに言われたくなーい』
『メルシー行ってたんだろ?』
矢野の頬によく冷えた栄養ドリンクの瓶が触れる。瓶を手にした早河がこちらを見下ろしていた。矢野は瓶を受け取って上半身を起こす。
『情報源はミレイ? サユリ?』
『ミレイ。お前が店に来たけど様子が何か変だったって心配してた』
デスクに戻った早河はパソコンに視線を向けた。矢野は栄養ドリンクの蓋を開けて中身を喉に流し込み、苦笑いする。
『あーあ。ミレイちゃんは人のことよく見てるからなぁ。やっぱりそのうちどっかの店のママにでもなってそう』
独り言同然に呟いて矢野は事務所を見渡した。今日はなぎさの姿がない。
早河達の日程が書かれたホワイトボードを見ると、今日のなぎさはライターの仕事で打ち合わせに出掛けていることがわかる。その隣のカレンダーの明日の日付の欄には赤ペンで式準備の文字があった。
『結婚式の準備進んでる?』
『ボチボチ。なぎさに任せっきりで申し訳ないけど俺の方は招待客少ないしな』
早河となぎさの結婚式は3ヶ月後の6月。結婚式が6月の理由はなぎさの誕生月であり、彼女がジューンブライドに憧れていたからだ。
『早河さんは、なぎさちゃんと結婚した時に探偵辞めようと思った?』
『……は?』
パソコンを操作していた早河は脈絡のない質問に顔をしかめた。矢野は空にした栄養ドリンクの瓶をテーブルに置いて、またソファーに寝そべる。
『カオスはぶっ潰したし、貴嶋も刑務所暮らしだ。早河さんの探偵としての当初の目的は達成したじゃん?』
『そうだな』
『だから、なぎさちゃんと結婚して探偵辞めて、もっとまっとうな仕事しようって考えたりした?』
ソファーに寝そべる矢野は早河と目を合わせない。早河はキーを打ちながら彼の質問に返答した。
『まっとうな仕事って例えば?』
『えーっと……サラリーマンとか?』
『俺の柄じゃねぇよ』
『ははっ。確かに。早河さんがサラリーマンは……ねぇよなぁ』
大きな溜息の後に矢野は額に腕を添えて明るい天井を見つめた。ブラインドが半分開けられた今は春を予感させる日差しが室内に差し込んでいる。
『情報屋、辞めるのか?』
『そうした方がいいのか考えてるとこ。真紀のお母さんと妹さんに挨拶に行った話はしたっけ?』
『挨拶に行くとは聞いたがその後は聞いてない』
静かな室内には早河がパソコンのキーを打つ音だけが響く。なぎさがいないだけでこの事務所はとても静かだ。
『今月の初めに真紀の実家に行ったんだ。結婚を前提としたお付き合いをしてますって挨拶程度だったんだけど……。挨拶に行く前に真紀が俺の職業をお母さんにどう説明すればいいか俺に聞いてきたんだ』
『情報屋とは言えないな』
『俺も自分の仕事の胡散臭さは重々承知してるからさ、そりゃそうだよなって。ヤバい人間と思われるのも嫌だし、伯父の事務所の事務員ってことで口裏合わせようってことにしたわけ』
テーブルの上のガラスの器の中にはみかんが積まれている。