早河シリーズ短編集【masquerade】
 早河は犯罪組織カオスのことを多くは教えてくれない。今回のカオス壊滅にしても、早河が何をして、どうやってキング逮捕の結末を迎えたのか有紗は知らない。
有紗に関係のある事柄だけを早河は話してくれる。

父の政行は精神科医の立場もあり、もっと多くの情報を早河から聞いて知っている。けれど父も知った情報の全てを話してはくれない。

 早河も父も、自分を子供扱いしているのではない。知らなくてもいい世界の話ならば知らないままの方が幸せなこともあるからだ。
それでも世間のニュースでしか事情を知らない人間よりは有紗は少しだけ裏側を知っている。

 振り返って店内に視線を走らせる。笑顔で話をしている者、無言で携帯電話を操作する者、ノートを広げて勉強している者、読書している者……。

店内にいる誰もが昨日、東京で何が起きていたのか本当のことは知らないだろう。誰にも知られないまま埋もれていく真実が、この世界には数えきれないほど存在する。

 しばらくキャラメルマキアートを飲みながら店内の様子や表を歩く人々を眺めていると、あの男が店内のテーブルを拭いて回っていた。彼は有紗の後方の空席になったテーブルを拭いている。

このカフェに通い始めたのはフランス留学から帰って来た夏頃。当時から男は店員として働いていた。
カフェに通い詰めて半年近くになるのに、有紗は一度もこの男から愛想を向けられたことがない。最初から今と同じ仏頂面で無愛想。

(顔は良いのに勿体ない。まるで初めて会った時の早河さんみたい……って、なんで早河さんとアイツを重ねてるのよっ)

 ぶんぶんとかぶりを振り、キャラメルマキアートのカップを持って立ち上がった。後方にいた男とすれ違った時にエプロンにつけていた名札が目に入る。

(カノウ……か)

これまでは男の苗字を気にはしなかった。どうして今日は名札を確認したくなったのか自分でもよくわからない。

(加納……下の名前は何て言うんだろ)

 出入口に近いテーブル席にさっきの女二人組が座っていた。有紗よりも少し年上に見える彼女達は加納に視線を送りつつ、別の男の話題で盛り上がっている。

それだけで彼女達があまり好きなタイプではないと思ってしまう辺り、やはり今日は虫の居所が悪いのかもと自覚して有紗は店を後にした。
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