国一冷徹の皇子と結婚した不運令嬢は、神木とともに魔術を極めて皇子を援護する

妃らしく

 翌朝、メアリは顔色を真っ青にさせて自室の扉を見つめていた。目が覚めてからずっとノックが聞こえてくるのだ。

 まだ早朝、メイドの誰かが来るには早すぎる。急ぎの用事があるのだとしたら、こんな風に静かなノックをし続けないだろう。ロアだったら大声を上げそうだ。

 そうなると、ノックの犯人はメイドではない誰かということになる。

「まだ六時前……」

 ロアを呼ぼうにも、肝心の扉を塞がれている。廊下にも透視用の葉を置いておくべきだった。

──ロカロスの世界に逃げようかな。でも、その間に中へ入られちゃうかも。

「まだ起きていないか」

 その時、扉の向こうからかすかにロインの声がした。慌てて扉に走り寄る。

「申し訳ありません。今開けます!」

 乱れた髪の毛もそのままに扉を開ける。予想通りの人物が立っていて、昨夜のことを思い出してまた顔から色が無くなった。

「朝からすまない。寝ていたか?」
「いえ、ちょうど起きたところです。いかがなさいましたか?」
「あ、いやその、昨日も王都で騒動があったから、城でも問題事がなかったか心配で」
「そうでしたか。ご心配いただき恐縮です。何もありませんでした」

 メアリがそう答えると、ロインは少し俯きがちに頷いた。

「それならいい。では失礼する」

 さっさと行ってしまうロインを見送る。どうやら本当にそれだけ言いに来たらしい。早朝なので緊急かと思ったが安心した。

「昨夜のようなことはもうそうそう起きないだろうから、しばらく大人しくしておいた方がいいかもしれないわ」

 ロインが心配だからと少々動きすぎたかもしれない。メアリの本業はロインの妃だ。目立った行動をして、新たな騒動を作ってしまったら迷惑がかかる。

「うん。今日からもっと妃らしく頑張ろう」

 間もなくしてロアがやってきた。メアリは身支度を整えてもらいながら、妃としての振る舞いを必死に考えた。

──あと二月もすればお姉様も来るから、それまでにここに慣れておこう。先にいる私が全然出来なかったら、私の姉としてやってくるお姉様が恥ずかしい思いをしちゃう。

「あの、お勉強の件ですけど」
「お休みしますか?」
「いえ、増やしてほしくて」
「ええッ」

 髪の毛を結い終えたロアが盛大に驚いてよろける。

「私だったら、できれば一秒もしたくない勉強をしたいとおっしゃるなんて……メアリ様は神様か何かでいらっしゃる」
「らないので、大丈夫です。跪かないで」
「そ、そうですか。申し訳ありません、びっくりしてしまって、つい」

 胸元を押さえつつ、ロアが予定を調整すると言って退出した。見送ったメアリも内心心臓がうるさかった。どうやら、ロアは勉強が大嫌いらしい。そんなことを初対面の時に言っていた気がする。

 メアリ自身も勉強が好きなわけではない。かといって嫌いなわけでもない。これまですすんで勉強する機会が無かっただけだ。貴族としての勉強などはあったが、両親から勉強を強要されることはなかった。実に有難いことだったと思う。

 すぐにロアが戻ってきて、さっそく今日から予定を組み直してくれることになった。朝食を食べつつ、ちらりとロインを見遣る。気付いたロインが一瞬目を合わせ、しかしすぐにそらしてしまった。

 彼は本性を知られても、二人きりの時以外は以前と変わらない態度を取ろうとする。それが彼の目指す理想なのならば、メアリは従うのみだ。ジュークが苦笑いをして肩をすくめる。メアリも同じように返しておいた。

「ジューク、婚姻の準備は進んでいるのか?」
「はい。兄さんに迷惑はかけないのでご安心を」
「滞りなくやれ」

──今のは兄としては心配だけど、弟を信頼して声をかけるに留まったってところかな? 本音は何かしら手伝いたいのかも。

 しかし、冷徹な皇子として振舞っているため、大っぴらにできないのだろう。せめて城内だけでも元の性格でいたらいいのにとメアリは思う。きっと幼い頃から徹底していて、今さら元に戻せないのだろう。困った旦那様である。

 言葉足らずなところも今となっては可愛らしく見える。何か不都合が起きたら自分が支えたい。勝手な婚姻であったはずなのに、いつの間にかロインの傍にいたいと感じていることに気が付き、メアリは頬が赤くなってしまった。

 急ぎ足で自室に戻り、呼吸を整える。講義の準備をしていると、控えめなノックがした。

「どうぞ」

 見慣れた教師が見慣れない量の教科書を持ってきた。メアリの希望通り、講義の量を増やしてくれるらしい。自分からお願いしたものの、その多さに少しだけ後悔した。

「素晴らしい心意気です。それではバンバン参りましょう」
「はい……よろしくお願いいたします……!」

 やる気に満ちた教師のもと、講義は昼食まで休みなく行われた。



 正午、すでに瀕死のメアリだったが、午後も講義がみっちり入っている。応援の意味を込めてか、昼食のデザートがいつもより多かった。

「午後は私が務めさせていただきます」

 午前と違う教師がやってきた。午後も変わらずみっちりで、おやつの時間に十分だけ休憩を与えられたのみで、日が暮れる頃ようやく一日の講義が終わった。

「有難う御座いました」
「また明日よろしくお願いいたします」

 微笑む教師の顔が恐ろしく見える。気のせいだ。疲れた心がそう見せるだけ。理解しつつも元気は出ない。どうにか笑顔で夕食を終え、メアリは自室のベッドに寝転がった。

「メアリ~、どうしたのじゃ」

 そこへ小さいロカロスが現れ、メアリの上をふよふよと飛ぶ。メアリが緩慢に上を向いて答えた。

「今日はずっとお勉強だったの。だからちょっと疲れちゃって」
「それは大変だ。私の所で遊ぶ時間が無くなるではないか」
「ふふ、そうだね。私も少しは遊ぶ時間が欲しいかも」
「そうだそうだ。明日は時間を作るのだぞ」

 ずっと年上なのに幼児を相手にしている気分になる。これだけで今日の疲れが取れそうだ。

「うん、作るよ。魔法の研究もしたいしね」
「そうだそうだ」

 ブラックローズの研究ももっとしたい。ここに来るまでは魔法は植物と触れ合えて便利程度にしか考えていなかったが、これだけ世界が広がったのならさらに広げたいというもの。

──衣装を動きやすくして、でも綺麗なシルエットのものが良いわ。

 ペンを持とうとして止めた。今日はここで止めておかなければ明日に響く。

「じゃあ、明日、貴方の世界で待ち合わせしましょ」
「うむ。私はずっと待っているから。早く来るのだぞ」
「うん」

 意外とすんなり帰ってくれた。ロカロスにとって友人と呼べる人間はメアリしかいないので、もっと駄々をこねると思っていた。

「明日はお土産持っていこう」

 メアリにとっても大切な友人だ。明日の予定を考えながら、メアリは眠りについた。
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